「俺は小説家になる」と申しております

教室の影

「教室の影」

学校の放課後、誰もいない教室に一人残って勉強していた千佳。静まり返った廊下に、どこかひんやりとした空気が漂っていた。学校は夜の空気を纏うと途端に異様な雰囲気を放つ。千佳はそれが苦手で、できるだけ早く帰ろうと思っていたのだが、ある不思議な噂が頭から離れず、どうしても一度確かめてみたくなってしまった。

その噂というのは「四階の端にある教室には、授業が終わったあと、誰もいないはずなのにひとりでに歩き回る影が現れる」というものだった。毎日午後の6時を過ぎた頃、その影が教室の中を歩き回ると囁かれていたのだ。クラスメイトたちの話では、影は生徒らしき姿に見えることもあれば、妙にゆがんだ大人のようにも見えるらしい。さらに、不思議なことにその影を見た者は、決して振り返ってはいけないとされていた。理由は誰も知らなかったが、振り返ったら最後、影に「見つけられてしまう」からなのだという。

「そんなことあるわけない」と思いながらも、千佳は気になって4階へと向かった。薄暗い廊下を歩くと、だんだんと心臓の鼓動が速くなるのが分かった。学校の階段を上がる音がやけに響き、背中をひやりとした感覚が駆け抜ける。

四階に着いた彼女は、端の教室のドアをそっと開けた。窓の外には沈みかけた夕日が赤く光を放ち、教室の中は影と光が複雑に入り混じっていた。その静寂の中、誰もいないはずの教室の中で、一瞬何かが動いた気がした。心がざわつく。千佳は思わず身を引きながらも目を凝らし、じっと影を探った。

すると、教室の隅に、確かに「影」があった。それは薄暗い一角に溶け込むようにして立っていたが、どことなく人型に見える。そして、その影がふっと歩き出すと、千佳のいる方向へ少しずつ近づいてきた。まるで彼女の存在に気づいているかのようだ。

怖くなった千佳は思わず後ずさりをしたが、その瞬間、クラスメイトの「振り返ってはいけない」という言葉が頭をよぎった。彼女は全身に鳥肌が立つのを感じ、目を閉じてその場でじっと動かないようにした。しかし、影の気配は彼女の周りをゆっくりと回り込み、息遣いすら聞こえてくるかのようだった。

「こんな場所で一人で何しているの？」

突然、後ろから囁くような声が耳に届いた。それは彼女の友人の声に少し似ているが、どこかひどく冷たかった。千佳は必死に目を閉じたまま、「見つからないように」と祈り続けたが、その声はさらに近づき、囁き続ける。

「ねえ、どうして振り返らないの？私のこと見たいでしょ？」

彼女の背筋が凍るような言葉だった。影は確実に彼女を誘っている。しかし、千佳は振り返ることができない。もし見てしまったら、何か恐ろしいことが起きる。そう直感的に理解していたからだ。

そのとき、不意に教室のドアが勢いよく開き、先生の足音が近づいてきた。振り返ってみると、そこには確かに先生が立っており、「千佳、ここで何しているんだ？」と声をかけてきた。千佳は夢中で教室を飛び出し、その場を後にした。

それから、千佳はその影について誰にも話さなかったし、4階の教室には近づかなくなった。しかし、放課後の教室には今も誰かの影が歩き回っていると、ひそかに語り継がれているのだ。