「俺は小説家になる」と申しております

おお、恋とは狂気のようなものだ

おお、恋とは狂気のようなものだ

「おお、恋とは狂気のようなものだ」

そう呟いたのは、佐藤あかり、三十歳の独身女性だった。彼女は今、あるカフェの隅でコーヒーを一人飲みながら、深くため息をついていた。窓の外では、秋風が静かに吹き、黄葉が舞い散る。街の喧騒が薄れ、心地よい静けさの中で彼女はふと、恋のことを思い出していた。

あかりは、恋愛に関しては無頓着で、むしろ冷めた目で見ている方だった。これまで、いくつかの恋愛を経験してきたが、どれも長続きすることはなかった。付き合っているときには「この人が運命の人かも」と思い込むこともあったが、いざ一緒に時間を過ごしてみると、やはりどこかに違和感を感じて、次第に心が冷めていくのだ。

だが、最近、彼女はある人に心を奪われていた。名前は高橋勇太、彼女が通っているヨガ教室のインストラクターだ。彼の姿勢はいつもまっすぐで、落ち着いた雰囲気を持っていた。笑顔も素敵で、何気ない言葉にさりげない優しさが感じられる。

最初はただの憧れだった。毎週水曜日、彼のクラスに通うのが楽しみで仕方がなかった。最初は単なる興味本位だったが、次第に彼の目を見るだけで胸がドキドキするようになり、彼が発する一言一言が、どうしようもなく心に響くようになった。

「また、今日も来てくれてありがとう」

その一言に、あかりの心は毎回、温かくなる。彼はただのインストラクターに過ぎないのに、あかりにはそれが特別に感じられて、何度も心の中で繰り返していた。

そしてある日、教室が終わった後、勇太が声をかけてきた。

「今日は、少しだけお話しませんか？」

その言葉に、あかりは驚いた。まさか、彼からこんなことを言われるとは思ってもみなかったからだ。彼は気さくに微笑み、あかりをカフェに誘った。

「少しだけ、コーヒーでも」

二人はカフェに入ると、静かな席に座った。勇太が「何を頼みますか？」と優しく聞いてくると、あかりはドキドキしながら注文を告げた。コーヒーの香りが漂う中で、二人はしばらく無言だった。勇太はあかりに何かを話しかけようとしていたが、何も言葉が出なかったようだ。

「あの、実は最近、あかりさんのことをよく考えているんです」

突然、勇太が口を開いた。その言葉に、あかりは息を呑んだ。

「え？わたしのことを？」

「あかりさんが教室に来てくれるたび、すごく嬉しいんです。とても真剣にヨガに取り組んでいて、なんだか放っておけないんですよ」

あかりは心臓が跳ねるのを感じた。彼がこんなふうに自分に言ってくれるなんて、信じられない。でも、それが本当なら、彼も自分に興味を持っているということだ。

「でも、私はあなたと関係を持つような資格がないと思っていたんです。年齢も離れているし、あなたにとって私はただの生徒に過ぎないんじゃないかと思って」

「年齢なんて関係ないじゃないですか。あかりさんの魅力は、外見だけでなく、心の強さにもあると思っています」

勇太の言葉にあかりの心は一層乱れた。彼の声は、まるで魔法のように心の中に響いていた。あかりはもう、自分の気持ちを抑えることができなかった。恋をするということは、こんなにも心が揺れることだと、改めて感じた。

その夜、あかりは何度もその会話を思い出していた。彼の言葉が、頭の中でぐるぐる回り、眠れない夜を過ごした。

そして、翌週の水曜日、あかりはヨガ教室に向かう途中でふと思った。恋とは、こんなにも自分を狂わせるものなのだろうか？と。心が落ち着かず、身体もどこか不安定になっている気がした。

教室に着くと、勇太がいつものように微笑んで迎えてくれた。しかし、あかりはその笑顔を見ることができなかった。なぜなら、彼があかりを意識していることを知ってしまったからだ。自分の気持ちが、ますます重く感じられ、どうしても素直になれなかった。

ヨガのポーズを取っても、心は全く落ち着かず、身体がうまく動かない。普段ならば気持ちよく感じるはずのヨガが、今日は全く心に響かない。

「おお、恋とは狂気のようなものだ」

あかりは心の中で呟いた。恋に落ちることが、こんなにも自分を狂わせるとは思わなかった。勇太に対する気持ちがどんどん強くなるほど、冷静さを失っていく自分に驚きながらも、それがまた心地よかった。

恋とは、狂気のようなものだ。その事実を、あかりは痛いほど実感していた。