「俺は小説家になる」と申しております

二度寝

二度寝

朝の光がカーテンの隙間から差し込んでくる。まだ眠りの中にいたはずのユウコは、目覚ましの音に目を開けた。スマートフォンのアラームが響き、7時を告げている。けれど、起きなければならない理由が思い浮かばない。仕事はリモートで、通勤もない。まだ十分に時間がある。布団の中の温かさに誘われて、ユウコはスマートフォンのアラームを止めた。

「あと5分だけ…」

彼女はつぶやきながら、もう一度布団に潜り込んだ。二度寝はユウコにとって小さな幸せだった。ふわりとした布団に包まれて、意識が再び薄れ始める。夢と現実の境目を漂うような、心地よい感覚に身を委ねていた。

そのまま眠りに落ちたユウコは、気づけば懐かしい場所にいた。そこは、子どもの頃に家族でよく訪れた海辺の小さな町だった。風に乗って聞こえてくる波の音、遠くで鳴くカモメの声。まるで時間が巻き戻されたかのように、ユウコは子どもの頃の自分を思い出していた。夢の中で彼女は小さな石を拾い上げ、それを波打ち際に投げた。水面に小さな波紋が広がり、ゆっくりと消えていく。

そのとき、背後から優しい声が聞こえた。

「まだこんなところにいたの？」

振り返ると、そこには亡くなったはずの母が立っていた。母の顔には柔らかな笑みが浮かんでいて、まるで時間の経過を感じさせない。ユウコは驚いたが、不思議と恐怖は感じなかった。むしろ、懐かしさと安堵に包まれた。

「お母さん…」

ユウコは言葉を詰まらせながらも、夢の中の再会を受け入れた。母は穏やかな目でユウコを見つめ、軽く頭を撫でてくれた。まるで昔のように。

「もう起きる時間じゃない？」

母の声に促されるように、ユウコはふと現実に引き戻された。しかし、まだ布団の中にいた。目を開けると、時計はすでに9時を回っている。二度寝の時間は、いつの間にか2時間も過ぎてしまっていた。

「やっちゃった…」

ユウコは慌てて起き上がり、パソコンを開いて仕事の準備を始めた。遅刻してはいないが、思ったより時間が経っていることに少し焦りを感じた。それでも、母との夢の中の再会はユウコの心を不思議と落ち着かせていた。

仕事に取りかかろうとしたが、ふと夢の中での母の言葉が頭に浮かんだ。「もう起きる時間じゃない？」という言葉。ユウコはそれが単なる目覚ましの合図ではないように感じた。母はいつもユウコが迷っているときや、何かを決めかねているときに、そっと背中を押してくれる存在だった。そして今、ユウコは仕事だけでなく、人生そのものに対しても何かを決断しなければならない時期に来ているのかもしれない。

「もう起きる時間か…」

ユウコは独り言のように呟きながら、パソコンの前で考え込んだ。最近の生活は、リモートワークに慣れすぎて、ただ漫然と日々を過ごしていた。大きな目標もなく、何かに挑戦することもないまま、ただ時間だけが過ぎていく。母が夢の中で現れたのは、そんなユウコに何かを気づかせるためだったのだろうか。

仕事を片付ける手を止め、ユウコは深呼吸をした。今までずっと後回しにしていたことが頭をよぎる。趣味としていた絵を描くこと、もっと自分のスキルを磨くための勉強、そしてずっと行きたかった旅先のこと。それらは、心の片隅に置かれたまま、手をつけられずにいた。

「そうだ、もう起きる時間なんだ。」

ユウコはそう自分に言い聞かせると、パソコンの前に座る姿勢を正し、今日一日をどう過ごすか考え始めた。仕事はもちろん大事だが、今日は少しだけ自分のための時間を作ろう。二度寝の夢が教えてくれたのは、ただの休息ではなく、前に進むための一歩を踏み出す勇気だった。

母との夢の再会は、まるでユウコに新しい扉を開く合図のようだった。今まで怠惰に過ごしてきた日々から目を覚まし、自分の人生を再び動かし始める時が来たのだ。

その日、ユウコは久しぶりに絵を描き始めた。最初は手が鈍かったが、次第に筆が軽く動き出す感覚が蘇ってきた。そして、いつか母と一緒に行こうと話していた海辺の町への旅行も計画に入れた。

二度寝から目覚めたその朝、ユウコは新しい人生の一歩を踏み出したのだった。