「俺は小説家になる」と申しております

自由の温度

自由の温度

朝の光がカーテン越しに柔らかく差し込む。高橋翔太は、いつものようにゆっくりとベッドから起き上がり、台所へ向かう。まだ半分眠っている頭で、彼は冷蔵庫を開けた。中には、冷えたペットボトルのアイスコーヒーが並んでいる。それを手に取ろうとした瞬間、彼はふと立ち止まった。

「今日は、温かいコーヒーがいいかな…」

季節は秋。外の気温はすっかり冷え込んできている。だが、翔太にとって季節や天気はあまり関係なかった。彼がコーヒーを選ぶ基準はただ一つ、その時の気分だ。冷たいアイスコーヒーか、温かいホットコーヒーか。それはいつも、自分の中にある微妙な感情の揺れに任せている。今日はどうやら、体が温かいものを求めているらしい。

彼は小さな鍋に水を注ぎ、火をつけた。お湯が沸くまでの時間、ぼんやりと窓の外を見つめる。少しずつ湯気が立ち始める音が心地よく耳に届く。窓の外は少し灰色がかかった空が広がり、遠くの公園では朝早くからジョギングをする人の姿が見えた。そんな日常の風景に、彼はふと考え事を始める。

「自由って、こんな感じなんだろうな…」

コーヒー一杯をどうするか。そんな些細な選択が、彼にとっては「自由」を象徴していた。社会に出て働き始めてから、翔太はいつも他人の期待やルールに従ってきた。会社での仕事、周りとの関係、将来への不安。どれもが「こうすべきだ」「こうしなければならない」という固定観念に縛られていた。だが、コーヒーを選ぶ瞬間だけは、誰にも指示されることなく、自分自身で決められる。季節も天気も関係なく、ただ自分の気持ちに従うだけで良い。

お湯が沸き、彼はカップにコーヒーの粉を入れた。お湯を注ぐと、香ばしい香りが立ち上り、部屋全体に広がった。翔太はその香りを深く吸い込み、気持ちが少しずつ落ち着いていくのを感じた。小さな行動ひとつひとつが、自分を取り戻す時間だった。

「自由って、大きなことじゃなくて、こういう瞬間にあるんだよな。」

彼はそう呟きながら、コーヒーカップを両手で包み込んだ。手のひらから伝わる温もりが、じんわりと体全体に広がる。その感覚が、まるで彼自身が自由を手にした瞬間のように思えた。

ふと、彼の頭に「日本酒」のことが浮かんだ。翔太は日本酒が大好きで、特に熱燗を好んでいた。季節が夏であろうと冬であろうと、彼が選ぶのは常に熱燗。なぜか、それだけは迷わなかった。冷や酒も美味しいとわかってはいるが、体が自然と熱燗を欲するのだ。

「日本酒はいつも熱燗。でも、コーヒーは気分で決める。」

その違いが、翔太にとっての「自由」だった。日本酒には彼なりのこだわりがあるが、コーヒーに関してはあくまで気分次第。そこに理屈はなく、ただ自分の感覚に従っているだけだ。それこそが、彼が感じる「自由」なのかもしれない。

翔太は窓際にある椅子に腰を下ろし、ゆっくりとコーヒーをすすった。温かい液体が喉を通り、体に染み渡る。外の冷たい空気とは対照的に、彼の心はほのかに温かく、そして穏やかだった。

「そういえば、今日は仕事でプレゼンがあったな…」

頭の片隅で仕事のことが浮かんだが、それを無理に追い出すように、再びコーヒーを口に運んだ。このひとときだけは、仕事のことを考えたくなかった。今はただ、自分の時間を大切にしたかった。小さな選択にさえも縛られることなく、完全に自由な時間。そんな瞬間が、翔太にとってのささやかな贅沢だった。

その日の夜、翔太は仕事を終えて家に戻った。家に着くと、すぐに冷蔵庫から日本酒の一升瓶を取り出し、台所にある小さな鍋で酒を温め始めた。カップに注いだ熱燗から立ち上る湯気を見ながら、彼は再び「自由」について考えていた。

「結局、自由ってのは、自分が何を選ぶかにかかってるんだな。」

翔太にとって、日本酒を飲む時の熱燗はルールや習慣ではなく、彼自身が選び取ったものだった。誰にも強制されることなく、ただ自分がそうしたいからそうする。その「選ぶ自由」こそが、彼にとっての本当の自由だった。

そして、自由とは必ずしも大きな決断をすることではなく、こうした日常の小さな選択にこそ存在するのだと、彼は感じた。どんなに忙しい日々であっても、コーヒーをどう飲むか、酒をどう楽しむか、それは彼自身が決めること。そこには、他人の干渉も、ルールも存在しない。

翔太は熱燗を口に含み、その温かさに身を委ねた。仕事の疲れが一瞬で溶けていくような感覚が広がり、心が解放されていく。自由とは、大きな夢や壮大な目標を追い求めることだけではない。日々の些細な選択に自分の意志を感じられることこそが、本当の自由なのだ。

「やっぱり、自由ってこんなものなんだよな。」

翔太はそう呟きながら、再びゆっくりと熱燗を味わった。