「俺は小説家になる」と申しております

ネットが止まってるのに、小説は書けない

「ネットが止まってるのに、小説は書けない」

深夜3時。辺りは静まり返り、ただ時計の針が刻む音だけが部屋に響く。作家、安西直樹はデスクの前に座り、ぼんやりと動かないパソコンの画面を睨みつけていた。自宅のWi-Fiが突如止まり、ネットは完全に途絶えている。それなのに、直樹の脳内はまるで情報が飽和したかのように騒がしかった。

「どうして、書けないんだ……？」

パソコンの電源が落ちたわけではない。原稿ファイルも目の前にある。けれども、直樹の指はキーボードの上で硬直し、何も生み出せずにいた。

直樹はデビューから数年、一定の成功を収めてきたが、ここ最近はスランプに陥っていた。締め切りは目前、出版社からのプレッシャーも大きい。けれども、いくら頭をひねっても、言葉が出てこない。アイデアが眠ったまま、彼の頭の中で固まっているかのようだ。

「もう何日も経ってるのに……」

一度手を止めると、創作のエンジンがかからなくなる。それでもいつもなら、ネットを通じて刺激を得ることができた。他の作家の新作や評論、ニュース記事、動画。何でもいい。情報を浴びれば、そこから何かしらのインスピレーションが得られることが多かった。しかし、今日はその頼みの綱が切れてしまった。Wi-Fiが繋がらない。直樹の目の前にあるのは、原稿ファイルと真っ白なドキュメントだけ。

「くそ……こんな時に限って！」

ネット依存症だという自覚はなかったが、今こうして繋がらない状況に置かれると、自分がどれだけネットに頼っていたかがよくわかる。いつもなら、迷ったときや行き詰まったとき、手軽に情報の海に逃げ込むことで、心のバランスを保っていたのだ。

しかし、今はそれすらできない。孤立無援の状態で、ただ一人、デスクに向かうしかなかった。

「でも、書けないんだよ……」

手元のペンを持ち上げ、何か書こうとするが、頭の中は空っぽだった。締め切りへの焦りが彼を追い立てるようにして、何度も言葉を探そうとする。しかし、すべてが空回りだ。頭の中には無数の未完のネタが眠っていることが分かっている。それなのに、それらはまるで意地悪をするかのように、決して現れない。

「いつも降臨してくるネタが、なんでこういう時に限って来ないんだ……？」

直樹は頭を抱えた。ふと気づけば、部屋の空気が息苦しく感じる。電気を消してしまいたい衝動に駆られるが、それは仕事から完全に逃げ出すことを意味している気がして、できなかった。

ネットが止まっている今、彼は自分の創作力と直接対峙しなければならなかった。しかし、そのことが彼の精神を追い詰めていく。小説家としての「力」を、目の前で試されているような気がする。ネットに頼らず、自分一人で物語を紡ぎ出せるのか。それを問われているかのようだった。

直樹は、無意識にタバコを口にくわえ、火をつけた。煙がゆっくりと立ち昇る。それをぼんやりと見つめながら、彼はふと思い出した。

デビュー前のことだ。まだ誰にも名前を知られていなかったころ、彼はただ自分の物語を書きたいという衝動に駆られ、がむしゃらにペンを走らせていた。ネットも見ず、情報も探さず、ただ自分の頭の中にある世界を文字にすることだけが楽しかった。あの頃は、締め切りもプレッシャーもなく、何の雑音もなかった。ただ、純粋に「書く」ことができた。

「どうして、あの時みたいに書けないんだろう……？」

直樹はタバコの煙を吐き出し、目を閉じた。頭の中には、書きたい物語がいくつも詰まっている。それが、何らかのきっかけで再び流れ出す瞬間が来るはずだと信じている。けれども、今はその扉が開かない。

もしかすると、自分はネットに依存しすぎて、本当に大切なものを見失っているのかもしれない。そう考えると、ふと肩の力が抜けた。

「そうだ、もう一度、シンプルにやってみよう……」

直樹はパソコンの電源を切り、机の引き出しから古いノートとペンを取り出した。久しぶりにアナログな方法で、小説を書いてみることにしたのだ。ネットの誘惑がない今、逆にそれが彼にとっての「自由」なのかもしれないと思い始めた。

ペン先を紙に当てた瞬間、いつもの焦りが少し和らいだような気がした。直樹は、無理に完璧な言葉を探そうとせず、ただ思いついたままに書き始めた。最初の一行が書けた途端、次の言葉がゆっくりと浮かんできた。

「まだだ……まだ終わってない」

彼はそうつぶやき、再びペンを走らせた。完璧じゃなくてもいい。まずは書き出すことが大事なのだ。思考の迷宮に囚われることなく、頭の中の断片を拾い集めて形にしていく。

時計の針が進む音が気にならなくなり、時間が過ぎていくのを感じなくなった。気がつけば、夜は明けかけていた。部屋の窓から、微かに朝の光が差し込み始める。

「よし……」

直樹はペンを置き、ノートに目をやった。そこにはまだ未完成の物語が綴られていた。けれども、確かに物語は動き始めたのだ。頭の中に眠っていたアイデアが、再び目覚めようとしている。

ネットが止まっても、小説は書けないと嘆いても、創作の火は決して消えない。直樹はそれを信じて、再び手を動かし続けることに決めた。