上 下
1,413 / 1,684

喪失感

しおりを挟む
喪失感

夕焼けが街を染める頃、佳奈(かな)は自分の足元を見つめながら歩いていた。心の中にはぽっかりと空いた穴があり、そこに何を詰めようとしても埋まる気配はなかった。今日も、昨日も、一昨日も、この喪失感は消えることなく、ただ彼女の中に根を下ろしている。

「大丈夫?」

友人たちはそう声をかけてくれるが、佳奈はうまく答えることができない。言葉にすればその痛みは軽くなるのだろうか、それとも重くなるのだろうか。誰もが通る道だと、誰かに言われたとしても、それが今の彼女には響かない。通り過ぎた者にはわからない、今この瞬間の苦しみが。

3ヶ月前、佳奈の愛する人、翔太(しょうた)が突然この世を去った。事故だった。何の前触れもなく、彼は消えてしまった。楽しい時間や、未来への約束はすべて無に帰し、彼女の目の前にはただ、空虚が広がるだけだった。

葬儀の時、多くの人々が集まって涙を流し、彼の死を悼んだ。佳奈も涙を流したが、その涙が自分のものではないように感じた。まるで他人事のようで、自分の感情をまったく理解できないまま、ただ涙が出てくる。そして、時間が経つにつれて、涙すら出なくなり、代わりに胸に広がるのは言いようのない喪失感だけだった。

その感覚は日を追うごとに大きくなり、日常生活の隅々まで染み渡っていった。朝、目を覚ますたびに、彼が隣にいない現実を再確認する。食事の時間も、彼と話したいことが山ほどあっても、話し相手はいない。夜、眠りにつく時には、彼がいない空虚さが一層深まる。

「もしあの時、あの電話をしていたら」

佳奈は幾度となく、自分ができたはずのことを後悔した。事故が起きる前の数時間、佳奈は忙しくて翔太の電話に出られなかった。その一回の電話。それが何か変えられたかもしれないという、根拠のない罪悪感が彼女を苛んでいた。

「佳奈、無理しないでね」

同僚が優しく声をかける。だが、その言葉さえも彼女にとっては負担だった。無理をしない、とはどういうことだろう。立ち直るべきなのか、それともこのままこの痛みに耐え続けるべきなのか、何もわからなくなっていた。

ある夜、彼女は翔太との思い出が詰まったアルバムを開いてみた。二人で旅行に行った時の写真、彼が笑顔でカメラを向けてくる様子。いつも優しく、面白いことを言っては佳奈を笑わせてくれた彼の姿が、ページをめくるたびに現れる。佳奈は一瞬、過去の自分に戻ったような気がした。だが、それも束の間だった。

写真の中の彼はいつまでも変わらず、彼女はその時間に取り残されたままだ。

「もう、戻れないんだ」

その現実に改めて直面した時、佳奈は涙が止まらなくなった。写真の中の彼は生き生きとしていて、その声や笑顔が今でもはっきりと思い出せる。それなのに、実際の彼はもういない。どんなに手を伸ばしても、その先には虚無しかない。

佳奈はその夜、眠れなかった。窓の外に見える月が、何かを語りかけてくるように見えたが、その声を聞き取ることはできなかった。ただ、胸の中に広がる喪失感が、夜の静寂と共鳴しているように感じられた。

「もう終わったんだよ」

自分にそう言い聞かせても、その言葉が心に響くことはなかった。

次の日、佳奈は少しだけ外に出てみることにした。冷たい風が頬を撫で、秋の訪れを告げていた。公園のベンチに座り込み、ぼんやりと空を見上げる。落ち葉が地面に積もり、風がそれをさらっていく様子を見ていると、少しだけ心が軽くなった気がした。

「何か、変わるのかな」

佳奈はそうつぶやいた。

翔太はもう帰ってこない。その事実を受け入れることが、今の彼女にはできないままだ。だが、ほんの少しでも、前に進めるかもしれない。いや、進まなければならないのだ。そうしなければ、彼の存在すら遠ざかってしまう気がして、怖かった。

彼女はそっとベンチを立ち、家に帰る道を歩き始めた。秋の風が少し強まり、髪を揺らした。空は広く、どこか遠くに翔太の存在を感じるような気がした。

「また会える日まで」

そうつぶやいた彼女の足取りは、少しだけ軽くなっていた。






しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

注意欠陥多動性障害(ADHD)の日常

春秋花壇
現代文学
注意欠陥多動性障害(ADHD)の日常

落ち込んでいたら綺麗なお姉さんにナンパされてお持ち帰りされた話

水無瀬雨音
恋愛
実家の花屋で働く璃子。落ち込んでいたら綺麗なお姉さんに花束をプレゼントされ……? 恋の始まりの話。

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

パンツを拾わされた男の子の災難?

ミクリ21
恋愛
パンツを拾わされた男の子の話。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

処理中です...