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辛党の目覚め

「辛党の目覚め」

朝陽が差し込むキッチンで、直葉（すぐは）はコーヒーを淹れていた。いつもならブラック一択の彼だが、今日は少しだけミルクを入れてみることにした。昨日の晩、妻の優子が作ってくれた盛岡冷麺の辛さがまだ舌に残っている気がしたのだ。

「辛党って言っても、辛いものが好きってわけじゃないんだよな…」直葉は自分に言い聞かせるように呟いた。辛党とは酒を好む者のことを指す。彼も例に漏れず、ビールや焼酎が大好きだったが、実際には辛い食べ物は少し苦手だった。それでも昨晩の盛岡冷麺は、彼に新たな世界を見せてくれた。

"辛いけど、美味しい。" その感覚は久しぶりだった。年齢を重ねるにつれて、辛さへの耐性が広がったのだろうか。それとも、ただ単に新しい味覚を求めていたのか。直葉は、コーヒーを一口飲みながら考え込んだ。

昨晩、仕事を終えて帰宅した直葉を待っていたのは、優子の手料理だった。週末にはよく手の込んだ料理を作ってくれるが、平日は簡単なものが多い。しかし、昨日は特別だった。テーブルには、大きな丼に盛られた盛岡冷麺が鎮座していた。

「今日はちょっと変わったもの作ってみたの。辛いけど、美味しいわよ。」優子がにこりと笑いながら言った。直葉は少し躊躇しながらも、優子の期待に応えようと一口すくった。スープの赤さが辛さを物語っているが、何となく食べてみたいという気持ちが勝った。

口に含むと、瞬間的に辛さが広がった。しかし、その後すぐに冷麺の独特な弾力と風味が辛さを包み込み、心地よい刺激となって口内を駆け巡った。

「これ、いいな。」思わず口から漏れた感想に、自分でも驚いた。確かに辛いが、味わい深くて美味しいと感じたのは久しぶりだった。優子は嬉しそうに笑い、「辛いの苦手なのに、ちゃんと食べてくれるんだね」と声を掛けてくれた。

それから、直葉は辛いものに少し興味を持つようになった。週末に優子と一緒にスパイスショップに行き、辛さの異なる調味料を見て回るのも楽しくなった。以前なら「無理だな」と思っていたものも、「ちょっと試してみようかな」と思えるようになってきたのだ。

ある日、二人は韓国料理のレストランに出かけた。メニューには辛さが選べる料理が並んでいて、直葉は迷わず「中辛」を注文した。これまでなら「甘口」一択だった彼にとって、これは小さな冒険だった。

「年を取ると、味覚も変わってくるんだな。」直葉は、辛さを和らげるためにビールを一口飲みながら言った。優子はそれを聞いて笑い、「許容範囲が広がったってことだよ。新しいことに挑戦できるのは良いことだね」と答えた。

直葉はその言葉に少し照れながらも、嬉しさを感じた。辛いものが得意になるとは思っていなかったが、それでも新しい味覚の世界を楽しんでいる自分がいた。歳を重ねることは、決して悪いことではないのだと気づかされた瞬間だった。

数週間後、直葉は会社の飲み会に参加した。飲み仲間たちは皆、辛党だ。彼らと一緒に飲みながら話すのは楽しいが、いつも辛い料理の話になると少し距離を置いていた。しかし、この日は違った。

「最近、辛いのが少し平気になってきたんだ。」直葉は自然に口にしていた。同僚たちは驚きの目で彼を見つめた。

「直葉が？それは驚きだな！じゃあ次は一緒に激辛挑戦だな！」と、いつも辛党ぶりを発揮している同僚が声をかけてきた。

「いや、そこまでは無理だよ。」直葉は笑いながら手を振ったが、その笑顔は自信に満ちていた。彼は、自分が少しずつ変わっていくのを感じていた。

帰り道、直葉はふと、優子との時間を思い出した。辛いものに挑戦するようになったのも、妻のおかげだった。彼女の優しさと料理が、新しい扉を開いてくれたのだ。

「まだまだ、知らないことがたくさんあるんだな。」直葉はそうつぶやきながら、家路を急いだ。辛党でありながら、辛いものが苦手だった彼は、新しい自分を見つけ始めていた。これから先も、いろんなことに挑戦していこうと思った。

直葉は、家に帰ると優子に一言お礼を伝えた。「昨日の冷麺、本当に美味しかったよ。また作ってくれる？」優子は少し驚いたような顔をしていたが、すぐに笑顔で「もちろん」と答えてくれた。

新しい味覚の冒険は、まだ始まったばかり。直葉の心は、新しい挑戦への期待で満ちていた。これからも、彼の辛党としての旅は続いていくだろう。その旅路には、いつも優子の笑顔と、美味しい料理が寄り添っているのだ。