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水のようにビールを飲む男

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水のようにビールを飲む男

その男の名前はアキラ。彼は、昼でも夜でもいつでもビールを手放さない。まるで水を飲むかのようにビールを飲む彼は、町の中でちょっとした有名人だった。居酒屋のカウンターで、仕事終わりの一杯を楽しむ常連たちは、必ずアキラの姿を見ることができた。

「アキラさん、今日もやってるねえ。」
カウンター越しに声をかけるのは、居酒屋「夕凪」の店主、マサだった。アキラはビールのジョッキを軽く掲げて応える。「当たり前だろ、これがないと俺の一日が始まらねえんだから。」

アキラは50代半ば、短髪で無精ひげを生やしている。作業服がいつも油や汚れで薄汚れているのは、彼が町工場で働いている証拠だ。仕事はきついが、アキラはその厳しさに慣れきっていた。朝早くから夜遅くまで働き、疲れた体を引きずるようにして夕凪にやってくる。そして、冷えたビールを一気に飲み干す。それが彼の日課だった。

「アキラさん、今日もいつもの?」
マサが聞くと、アキラはうなずき、手を振る。「ああ、いつものやつな。」

「いつもの」とは、ビールを何杯か飲んだ後に出される、特製の唐揚げのことだ。夕凪の唐揚げは、外はカリッと中はジューシーで、アキラのお気に入りだった。彼はビールを飲む合間に唐揚げをつまみながら、疲れを癒していた。

「水みたいに飲むなあ、アキラさん。俺だったら腹がはち切れちまう。」
隣に座るサラリーマン風の男が、驚いたように言った。アキラは微笑んで、ジョッキをもう一度傾けた。「俺にとっちゃビールは水みたいなもんだ。これがなきゃ、生きてる気がしねえ。」

けれども、アキラがそんな生活を送るようになったのには、理由があった。彼はかつて、家族と暮らしていた。妻と息子、そして娘の4人家族だった。しかし、10年前、妻が病に倒れた。入院費用や治療費はかさみ、アキラは昼も夜も働いて家計を支えたが、それでも足りなかった。妻の病状は日に日に悪化し、ついには帰らぬ人となった。

その後、アキラは酒に逃げるようになった。最初は焼酎やウイスキーだったが、重い酒に体が耐えきれなくなり、次第にビールに移行した。ビールは軽く、飲んでいると心が少しだけ軽くなる気がした。だから、彼は水のようにビールを飲み続けた。

子供たちは成長し、今では独立して都会で暮らしている。アキラは彼らに負担をかけたくないと、何も言わずに一人で暮らし続けていた。工場の仕事も、年々厳しくなっている。それでも、彼は休むことなく働き続けた。毎日ビールを飲むために、毎日働く。それが、彼の生きがいだった。

ある夜、アキラはいつものように夕凪でビールを飲んでいた。マサがそっと近づき、言った。「アキラさん、今日はちょっと話があるんだ。」

アキラはジョッキを置き、マサを見た。「なんだ、珍しいな。」

マサはため息をつきながら、アキラに一枚の紙を差し出した。それは、アキラの娘からの手紙だった。マサの元に郵送されてきたもので、アキラに会ってほしいと書かれていた。アキラは驚きながら手紙を読んだ。そこには、娘が結婚することになったという報告と、ぜひ式に出席してほしいというお願いが記されていた。

「こんな手紙、俺のとこに届くなんてな。」アキラは苦笑し、ビールを一口飲んだ。

「アキラさん、娘さんはあんたに来てほしいんだよ。これを機に、ちょっと生活を変えてみたらどうだい?」
マサの言葉に、アキラは少し考え込んだ。彼はこれまで、ビールに逃げてばかりだった。けれども、娘の手紙が彼の心に小さな希望の種を植えたのかもしれない。

その夜、アキラはいつもより少しだけ早く店を出た。星空を見上げながら、彼は心の中で決意した。「明日から、少しだけビールを減らしてみようか。そして、娘の結婚式には、しっかりした姿で行こう。」

アキラは家に帰ると、冷蔵庫のビールを一缶だけ残して、他は全部捨てた。冷蔵庫の奥に、妻が好きだったワインボトルがまだ残っていた。彼はそのワインを取り出し、グラスに注いだ。初めて飲む妻の好きだったワインの味は、ほんのりとした甘みが口の中に広がり、どこか懐かしさを感じさせた。

「これも、悪くないな。」アキラは微笑みながら、グラスを置いた。

翌日から、アキラはビールの代わりに水を飲むようになった。仕事帰りには夕凪に寄り、マサの唐揚げをつまみながら、少しずつビールの量を減らしていった。最初は難しかったが、アキラは少しずつ、自分の新しい生活に慣れていった。

娘の結婚式の日、アキラはスーツを着て、久しぶりに整えた髭で堂々とした姿を見せた。娘はアキラを見て、涙を流して喜んだ。アキラもまた、目頭が熱くなった。

「ありがとう、親父。」
娘のその一言が、アキラの心に深く響いた。彼はビールを水のように飲む日々から、家族との新しい時間へと一歩を踏み出したのだ。

これからは、水のように穏やかで優しい日々を、家族と共に過ごしていく。そんな未来が、アキラの目の前に広がっていた。











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