「俺は小説家になる」と申しております

最後の夜

最後の夜

雨が降りしきる夜、俺たちはまた会った。湿った空気が重く、街の灯りが霞んで見える。思い出のバーの中、俺たちは静かに向き合っていた。二人の間には、冷たい沈黙と、まだ温かいグラスが一つ。

「なあ、ベイビー」と俺は口を開いた。「昨夜、あれは…」
彼女は俺の言葉を遮るように手を挙げた。「もう、その話はしないで」と冷たい目で見つめ返してくる。

昨夜の記憶は霧のように曖昧だ。酒に酔いながら、お互いの傷をえぐるような言葉を吐き、言い過ぎたことが幾度となくあった。俺は自分が何を言ったのかすら覚えていない。ただ一つ確かなのは、彼女の瞳に浮かんだ涙の光。それだけは忘れられない。

「俺たち、終わったんだな」俺は呟くように言った。

彼女はゆっくりと首を振った。「そんな簡単に言わないでよ」
彼女の目には涙が浮かび、唇が震えている。「でも、何も変わらない。あなたといると、私は自分を見失うの。もう疲れたの…」

俺は苦笑した。「わかってる。俺も同じだ。でも、お前がいないと…俺はもっとひどいんだ」

彼女は目を伏せたまま、小さく息を吐く。「昨夜、私たちが言ったこと…それは本音じゃなかったよね？」

俺は頷いた。「そうだ。酒がそう言わせたんだ。ただ…俺は、お前に伝えたいことがあるんだ」

彼女はゆっくりと顔を上げ、俺を見つめる。「何？」

「俺は…まだお前が好きだ。それだけは、変わらない」

彼女の目が揺れ動く。迷いと、悲しみと、微かな希望が混ざり合った瞳。「でも、それだけじゃダメなの。愛してるだけじゃ…もう進めない」

「それでも、終わりたくないんだ」と俺は強く言った。「俺たちはまだ、終わっていない。何か…何かが俺にそう言ってるんだ」

彼女は一瞬、何かを考えるように目を閉じた。そして再び目を開いた時、そこには決意の色が浮かんでいた。「じゃあ、もう一度だけ試してみよう。でも、今度は本当に最後にするつもり。私たちが変わらない限り、同じことを繰り返すだけだもの。」

その言葉に俺は頷いた。心のどこかで、彼女がそう言ってくれるのを期待していたのかもしれない。「ありがとう、ベイビー。もう一度チャンスをくれて」

彼女は目を逸らし、少し微笑んだ。「ありがとうなんて言わないで。今度こそ、本気で向き合わないとね」

俺たちはその夜、最後のグラスを傾けながら、これまでのことを一つひとつ振り返った。どこで間違えたのか、何が足りなかったのか。二人の関係のひび割れを修復しようとするように、正直に話し合った。お互いに見せたことのない弱さと痛みを共有することで、少しずつ氷が溶けていくのを感じた。

「私、あなたに一つ聞きたいことがあるの」と彼女が言った。「あなたはどうして、私のことをこんなにも離したくないの？」

俺は深呼吸をしてから答えた。「お前と一緒にいると、自分が自分でいられる気がするんだ。お前が俺を理解してくれるから。どんなにぶつかり合っても、お前の存在が俺にとっての安らぎなんだよ」

彼女は静かに聞いていた。俺の言葉が彼女の心に届くかどうか、不安だった。しばらくの間、彼女は何も言わず、ただ俺を見つめていた。そして、やがて微笑みを浮かべた。

「わかったわ。じゃあ、もう一度だけ信じてみる。でも…今度は、私たち二人とも変わらなきゃね」

「そうだな」と俺は同意した。「俺たちのために」

その夜、俺たちは再び手を取り合い、同じベッドに横たわった。何度も互いを抱きしめ合い、静かに語り合った。今度こそ、本当に新しいスタートを切れるかもしれないという希望を感じながら。

外ではまだ雨が降り続いていたが、俺たちの心には小さな光が差し始めていた。その光が、夜の闇を切り裂き、二人を新たな未来へと導いてくれることを信じていた。

たとえ何度傷つけ合っても、何度もやり直しを繰り返しても、俺たちはまだここにいる。彼女と共に、この雨の夜を超えて、また明日を迎えるために。

「ねぇ、ベイビー」と彼女が囁いた。「今度こそ、私たち頑張れるよね？」

「もちろんだ」と俺は彼女の額にキスをしながら答えた。「これが、最後の夜じゃないように」

その言葉と共に、俺たちは深く眠りについた。明日への希望を胸に抱きながら。