「伯爵夫人の憂鬱」

春秋花壇

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「揺れる三角関係」

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「揺れる三角関係」

夫が少しずつ私に心を開いている――そう感じ始めた矢先、屋敷に一通の手紙が届いた。それは彼の愛人、ルイーゼからのものだった。

薄い便箋に綴られていたのは、穏やかな言葉のようでいて、鋭く私の胸を刺す内容だった。

「彼を苦しめないでください。彼には私だけで十分です。あなたが彼の前に現れたことで、彼の心は乱れています」

手紙を読み終えた私は、静かに息を吐いた。冷静でいなければならない。私がこの家の伯爵夫人である以上、乱されてはならない。

しかし、心の奥ではざわつくものがあった。夫が少しずつ私との距離を縮めているのだと感じていたあの温かな時間は、彼にとって何だったのだろう。

私は手紙をそっと引き出しにしまい、何事もなかったかのように日々を過ごそうと決めた。

その夜、夫が珍しく私の部屋を訪れた。

「少し、話がしたい」

彼の声は静かだったが、どこか緊張が滲んでいた。私は頷き、座るように促した。

「どうされました?」

彼はしばらく黙っていたが、やがて意を決したように話し始めた。

「ルイーゼがお前に手紙を送ったと聞いた」

「……そうでしたか」

私は努めて平静を装った。しかし、彼が次に続けた言葉に胸が跳ねた。

「俺が断ったのに、彼女はどうしてもお前に伝えたかったようだ」

「断った、とは……?」

「ルイーゼとは距離を置こうと思っている」

その言葉に、私は思わず目を見開いた。

「どうして……」

「お前のことを考えたからだ」

夫の声は低く、真剣だった。

「俺は初め、お前に何も期待していなかった。ただの政略結婚だと割り切っていた。だが、お前がこの家のために努力している姿を見て、俺は……」

彼は言葉を詰まらせたが、やがて続けた。

「お前を伯爵夫人としてだけでなく、一人の人間として尊敬するようになった。それなのに、ルイーゼとの関係を続けるのは、お前に対する侮辱だと感じたんだ」

彼の言葉は私を驚かせ、同時に心を揺さぶった。

「でも、彼女を愛しているのでしょう?」

「……ああ。だが、その愛情がこの家にどんな影響を与えているか、ようやく理解した」

彼の目は真剣だった。その視線に、私は初めて彼の葛藤を知った。

しかし、その翌日、事態は急変した。

ルイーゼが突然、屋敷を訪ねてきたのだ。

使用人が慌てて私のもとに駆け寄り、その報告を告げた時、私は一瞬足がすくむような感覚に襲われた。それでも、自らの役割を思い出し、静かに応接室へ向かった。

そこにいたのは、華やかなドレスをまとったルイーゼだった。彼女はまっすぐに私を見つめ、少しも怯むことなく口を開いた。

「初めまして、伯爵夫人。私はルイーゼ。彼と長く一緒に過ごしてきた者です」

その言葉に込められた挑戦のような響きに、私は深呼吸をした。

「お会いできて光栄です。ですが、この場に来られるのは少々無礼ではありませんか?」

「無礼かもしれません。でも、黙っていられませんでした」

ルイーゼの瞳には涙が滲んでいた。

「彼はあなたのもとに行こうとしています。それがどれほど残酷なことか、分かりますか? 私は彼を愛しているのに!」

彼女の感情の爆発を受け止めながらも、私は冷静を保った。

「彼が選ぶのは、彼自身の意思です。私が強制することはありません」

「でも、あなたは伯爵夫人という立場を利用して彼を縛るつもりでしょう!」

その言葉に、私は静かに首を振った。

「私は彼を縛りたくはありません。ただ、この家を守るために、私の務めを果たすだけです」

その瞬間、ルイーゼの表情が崩れた。彼女は唇を噛みしめ、静かにうつむいた。

「……私には、そんな強さはありません。彼を失うことなんて、考えられない」

その言葉を聞いて、私は彼女に対して抱いていたわだかまりが少し消えた。彼女もまた、愛に翻弄されているだけなのだ。

その夜、夫が応接室での一件を知り、私のもとに来た。

「……ルイーゼのこと、すまない」

「謝られることではありません」

私は静かに答えた。

「彼女も、あなたも、それぞれに葛藤があるのですから」

「だが、これ以上お前を巻き込むつもりはない。俺は……お前と共に、この家を守るべきだと思っている」

彼の言葉には、これまでにない決意が込められていた。それを聞いた時、私の中で何かが動き出した。

もしかすると、彼となら新しい未来を築けるかもしれない。

けれど、その未来には、必ずルイーゼの影が残るだろう。私たちはその影を抱えながら、それでも前に進むしかない。

それが、貴族として生きるということなのだ――そう自分に言い聞かせながら、私は彼に静かに頷いた。

終わり
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