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燃える芝

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燃える柴
聖書における燃える柴

燃える柴は、旧約聖書の出エジプト記に登場する重要なモチーフです。モーセが神からイスラエル民族を解放する使命を受ける場面で、燃える柴が現れます。

出エジプト記3章1節~6節

1 モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。
2 すると、主の使は、しばの中の炎のうちに彼に現れた。彼は見と見ると、しばは火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。
3 モーセは、「これはどういうことだろう。柴は燃えているのに、燃え尽きない。行って、この大いなる光景を見なければならない。なぜ、柴は燃えないのだろうか。」
4 主は柴の中の炎から彼に呼びかけ、「モーセ、モーセ、ここへ来るな。あなたの足もとにある土は聖なる地である。
5 足のわらじを脱ぎなさい。あなたが立っている所は聖なる地だからである。」
6 また、「わたしはあなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」と言われた。モーセは顔を覆い、神を見ることを恐れた。

燃える柴の解釈

燃える柴は、神の臨在と聖なる力を象徴しています。燃え尽きることなく燃え続ける柴は、神の永遠の命と不変性を表しています。また、柴が燃える音は、神の言葉とされています。

燃える柴の重要性

燃える柴は、モーセに神の使命を伝える重要な役割を果たしました。燃える柴を通して、神はモーセにイスラエル民族を解放する使命を与え、彼を導きました。

燃える柴の現代的な意味

燃える柴は、現代においても様々な意味を持つと考えられています。神の臨在と聖なる力、神の永遠の命と不変性、神の言葉などを象徴するものとして、信仰生活において重要な役割を果たしています。

その他

燃える柴は、キリスト教の聖書にも登場します。使徒行伝7章30節では、ステパノが燃える柴の中で神を見る場面が描かれています。

燃える柴は、様々な芸術作品にも描かれています。有名な作品としては、レンブラントの「燃える柴の中のモーセ」などが挙げられます。

質問

燃える柴について、他に何か質問はありますか?


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この物語は、旧約聖書の「出エジプト記」に登場するモーセの物語です。以下は物語の概要です。

モーセは、ホレブ山で羊飼いとして暮らしていました。ある日、山で羊を飼っていると、不思議な現象に遭遇します。山の中で、燃えるしばがあるのですが、不思議なことにそれは燃え尽きることがありませんでした。

その燃えるしばの近くにモーセが近づくと、そのしばから神の声が聞こえます。神はモーセに近づくなと言い、モーセはサンダルを脱ぎ、聖なる地に立っていることを悟ります。

神は、モーセにイスラエル人をエジプトから解放する任務を与えます。しかし、モーセは自分の力不足を理由に拒否します。そこで神は、モーセに奇跡を示して信じさせようとします。モーセの手を雪のように白くする奇跡や、杖をへびに変える奇跡を行います。

その後、モーセはエテロのもとを去り、エジプトへと向かいます。











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