ありがとうの詩

春秋花壇

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年越しそばの贈り物

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年越しそばの贈り物

大晦日の夕暮れ、街には冷たい風が吹き抜け、通りを行き交う人々の吐息が白く染まっていた。早紀は小さなスーパーの前で足を止め、手に握った買い物リストを見つめた。「そば、ネギ、かまぼこ」――祖母のレシピ帳から書き写した簡素なメモだ。この三つさえ揃えば、祖母が生前よく作ってくれた、温かい年越しそばを再現できる。

「今年こそ、ちゃんと作るんだ」と早紀は決意を新たにした。昨年までは仕事の忙しさにかまけて、コンビニのパックに入ったそばで済ませていた。でも今年は違う。祖母との大切な思い出を、きちんと形にしたい。家族で年越しそばを囲み、長寿と幸せを祈った、幼い日の温かな情景が胸に蘇る。

スーパーの中は、年末の買い出し客でごった返していた。大きなカートを押しながら食材を山積みにする家族連れ、おせち料理の材料を真剣な表情で吟味する主婦たち。レジの前には長い列が伸び、人々は慌ただしく商品をカゴに詰め込んでいた。年の瀬特有の喧騒が店内に満ち溢れる中、早紀は目的のそば売り場へ急いだ。

しかし、目当ての乾麺の棚は、まるで台風が過ぎ去った後のように、ほとんど空っぽだった。唯一残っていたのは、丁寧に桐箱に入れられた高級な手打ちそば。その値札を見て、早紀は小さく息を吐いた。手元の財布の中身では、到底手が届かない。

「どうしよう…代わりにうどんにする?」そう呟きながらも、心の奥で何かが抵抗していた。年越しそばは、単なる食事ではない。祖母との大切な思い出と深く結びついた、特別な象徴なのだ。ここで妥協してしまえば、大切な何かを汚してしまうような気がした。

悩む早紀の隣に、白髪混じりの年配の男性が立っていた。濃いグレーの厚手のコートに身を包み、手には同じく乾麺のそばが入った紙袋を持っている。穏やかな雰囲気を纏ったその男性は、早紀をちらりと見てから、優しく声をかけた。

「そばを探しているのかい?」

驚いて顔を上げると、男性はにこりと微笑み、持っていた紙袋を少し持ち上げた。中には、早紀が探していた乾麺のそばが数袋入っているのが見えた。

「もしよかったら、これを持っていきなさい。毎年少し多めに買って、近所の方々にお裾分けしているんだが、今年は少し余ってしまってね。」

「えっ、でもそんな…高価なものをいただくわけには…」早紀は戸惑いを隠せない。

「いいんだよ、気にしないで。若い人がこうして昔からの風習を大切にしようとするのは、本当に良いことだ。これはお礼なんかいらない。ただ、温かいそばを食べて、良い年を迎えておくれ。」男性は穏やかな口調でそう言うと、早紀に紙袋をそっと手渡した。

男性の優しさに胸が熱くなり、早紀は深々と頭を下げた。「ありがとうございます。本当に助かります。」感謝の言葉を何度も繰り返しながら、早紀はそばの入った紙袋を大切に抱きしめ、家路を急いだ。

家に戻った早紀は、祖母の古いレシピ帳を広げ、さっそく台所に立った。丁寧にそばを茹で、丁寧に時間をかけて香り高いだしを煮出し、斜め切りのネギと紅白のかまぼこを彩りよく盛り付けた。湯気と共に立ち上るだしの香りが部屋いっぱいに広がり、早紀の心まで温かく満たしていく。

一口すすった瞬間、早紀の胸にじんわりとした温かさと、満たされるような感動が湧き上がった。これはただの食事ではない。祖母の愛情、そして見知らぬ男性の親切心、二つの温かさが込められた、特別な一杯だった。

遠くから、ドーンという重い音が聞こえ、続いてパチパチという小さな音が夜空に広がった。窓を開けると、暗い夜空に小さな光が咲き、瞬く。早紀は空を見上げながら、そっと目を閉じ、祈るように呟いた。

「あの方にも、良い一年が訪れますように。」

部屋の中では、温かなそばの香りが、穏やかな新年の訪れを静かに告げていた。

ありがとうございます。
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