ありがとうの詩

春秋花壇

文字の大きさ
上 下
83 / 145

羽根を広げて

しおりを挟む
「羽根を広げて」

秋の夕暮れ、陽が沈みかけた空が薄紫色に染まる中、真理子はキッチンの窓から外を見つめていた。庭の木々が風に揺れ、その先には息子、翔太の姿が見える。翔太は大学の入学試験を控えていたが、近頃、どうしても母親としての心配が先立ち、彼の成長を温かく見守ることができなかった。

「本当に大丈夫かしら?」真理子はつぶやいた。息子の成績や試験勉強に対する姿勢に不安を感じていた。これまでも何度も、翔太は試験を前にして焦っていたり、時折自信を持てずにいたりした。彼がまだ不安定な部分があるのを感じるたび、真理子はどうしても手を差し伸べたくなってしまう。

しかし、彼女がそれをするたび、翔太は少しずつ距離を取るようになった。母親として心配する気持ちが強すぎて、息子の独立を見守るべき時に、逆に翔太を束縛してしまっていたことに気づくのは、少し遅かった。

真理子は深いため息をつくと、リビングに移動し、翔太の勉強机の前に座った。机の上には、未だ解けていない問題集が山積みになっている。その中に、翔太が以前、母親の目を避けるように書いたメモが一枚挟まっているのを見つけた。「僕は、もう母さんに頼らない。」

その言葉が胸に刺さり、真理子の心は重くなった。彼が少しずつ自立していくことを理解しようとしていたが、母親としてその一歩を受け入れることができずにいた。翔太が自分から一歩踏み出すことを恐れていたのだろう。それでも、彼が自分の力で乗り越えていくためには、どこかで母親の手を離す必要があった。

「翔太…」真理子は呟きながら、彼のことを思った。あの幼い頃の、何もかもが初めてで輝いていた日々から、もう随分と時間が経った。翔太が小さい頃、彼の手を引いて学校に通ったり、一緒に遊びに行ったりしたことが、今ではもう遠い記憶となっていた。その頃の自分が、少しずつ強く、成長する翔太に頼りすぎていたことに、母親としての責任を感じていた。

「もう少し、翔太を信じなきゃいけない。」

その日、翔太が帰宅したのは夕方のことだった。真理子は軽く挨拶をすると、夕食の支度を始めた。翔太は無言でリビングのソファに座り、何か考え込んでいる様子だった。真理子はその姿を見て、心配そうに声をかける。

「どうしたの、翔太?元気ないみたいだけど。」

翔太は少し沈んだ表情で答えた。「ちょっと、試験の結果が思ったようにいかなくて…。」

「そう…」真理子は無意識に言葉を選びかけたが、その瞬間、彼女は気づいた。過去に何度も、翔太の失敗に対して、すぐにアドバイスをして、結果をすぐに正そうとしてしまっていた。しかし、今回はそれをしないでおこうと心に決めた。翔太はその失敗を自分で乗り越えなくてはならないのだ。

「うん、でも次があるから。失敗しても大丈夫。まだ時間はあるし、どうすればいいか一緒に考えるよ。」真理子はそう言って、優しく彼の隣に座った。

翔太は顔を上げると、少し驚いたように母親を見つめた。「ママ、今回は怒らないんだ?」

「怒らないよ。だって、失敗することも大切な経験だから。」真理子は優しく微笑んだ。「あなたはもう大人だし、自分で考え、動く力を持っていることを私は知っているよ。」

翔太は一瞬黙った後、少し照れくさそうに笑顔を浮かべた。「ありがとう、ママ。頑張るよ。」

その瞬間、真理子は心の中で、初めて本当に息子を自由にさせる覚悟を決めた。翔太が失敗をしても、彼がそれを乗り越える力を持っていることを信じること。それが母親として、息子にできる最大のサポートなのだと気づいた。

夕食の後、翔太は再び勉強に戻った。真理子はその背中を見送りながら、心から彼を応援している自分を感じた。そして、次第に、息子が自分の道を歩むことを支えるためには、母親としての手を引く勇気が必要だと感じるようになった。

その日から、真理子は少しずつ自分の中で、翔太が自分の力で成長していくことを認めるようになった。母親として、彼の失敗をただ見守り、サポートすることが最も大切なことだと心から思えるようになった。そして、翔太が失敗から学び、成功へと向かっていく姿を見守ることが、何よりも誇らしいことだと感じるようになった。







しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

【完結】限界離婚

仲 奈華 (nakanaka)
大衆娯楽
もう限界だ。 「離婚してください」 丸田広一は妻にそう告げた。妻は激怒し、言い争いになる。広一は頭に鈍器で殴られたような衝撃を受け床に倒れ伏せた。振り返るとそこには妻がいた。広一はそのまま意識を失った。 丸田広一の息子の嫁、鈴奈はもう耐える事ができなかった。体調を崩し病院へ行く。医師に告げられた言葉にショックを受け、夫に連絡しようとするが、SNSが既読にならず、電話も繋がらない。もう諦め離婚届だけを置いて実家に帰った。 丸田広一の妻、京香は手足の違和感を感じていた。自分が家族から嫌われている事は知っている。高齢な姑、離婚を仄めかす夫、可愛くない嫁、誰かが私を害そうとしている気がする。渡されていた離婚届に署名をして役所に提出した。もう私は自由の身だ。あの人の所へ向かった。 広一の母、文は途方にくれた。大事な物が無くなっていく。今日は通帳が無くなった。いくら探しても見つからない。まさかとは思うが最近様子が可笑しいあの女が盗んだのかもしれない。衰えた体を動かして、家の中を探し回った。 出張からかえってきた広一の息子、良は家につき愕然とした。信じていた安心できる場所がガラガラと崩れ落ちる。後始末に追われ、いなくなった妻の元へ向かう。妻に頭を下げて別れたくないと懇願した。 平和だった丸田家に襲い掛かる不幸。どんどん倒れる家族。 信じていた家族の形が崩れていく。 倒されたのは誰のせい? 倒れた達磨は再び起き上がる。 丸田家の危機と、それを克服するまでの物語。 丸田 広一…65歳。定年退職したばかり。 丸田 京香…66歳。半年前に退職した。 丸田 良…38歳。営業職。出張が多い。 丸田 鈴奈…33歳。 丸田 勇太…3歳。 丸田 文…82歳。専業主婦。 麗奈…広一が定期的に会っている女。 ※7月13日初回完結 ※7月14日深夜 忘れたはずの思い~エピローグまでを加筆修正して投稿しました。話数も増やしています。 ※7月15日【裏】登場人物紹介追記しました。 ※7月22日第2章完結。 ※カクヨムにも投稿しています。

彼女の選んだ未来

椿森
恋愛
彼女が知りうる限りの真実を持ってして、彼女自身が選択した未来のために。 ※暗く、鬱な内容です。自己防衛をお願いいたします。 救いはありません。

【実体験アリ】怖い話まとめ

スキマ
ホラー
自身の体験や友人から聞いた怖い話のまとめになります。修学旅行後の怖い体験、お墓参り、出産前に起きた不思議な出来事、最近の怖い話など。個人や地域の特定を防ぐために名前や地名などを変更して紹介しています。

【完結】その約束は果たされる事はなく

かずきりり
恋愛
貴方を愛していました。 森の中で倒れていた青年を献身的に看病をした。 私は貴方を愛してしまいました。 貴方は迎えに来ると言っていたのに…叶わないだろうと思いながらも期待してしまって… 貴方を諦めることは出来そうもありません。 …さようなら… ------- ※ハッピーエンドではありません ※3話完結となります ※こちらの作品はカクヨムにも掲載しています

不遇職とバカにされましたが、実際はそれほど悪くありません?

カタナヅキ
ファンタジー
現実世界で普通の高校生として過ごしていた「白崎レナ」は謎の空間の亀裂に飲み込まれ、狭間の世界と呼ばれる空間に移動していた。彼はそこで世界の「管理者」と名乗る女性と出会い、彼女と何時でも交信できる能力を授かり、異世界に転生される。 次に彼が意識を取り戻した時には見知らぬ女性と男性が激しく口論しており、会話の内容から自分達から誕生した赤子は呪われた子供であり、王位を継ぐ権利はないと男性が怒鳴り散らしている事を知る。そして子供というのが自分自身である事にレナは気付き、彼は母親と供に追い出された。 時は流れ、成長したレナは自分がこの世界では不遇職として扱われている「支援魔術師」と「錬金術師」の職業を習得している事が判明し、更に彼は一般的には扱われていないスキルばかり習得してしまう。多くの人間から見下され、実の姉弟からも馬鹿にされてしまうが、彼は決して挫けずに自分の能力を信じて生き抜く―― ――後にレナは自分の得た職業とスキルの真の力を「世界の管理者」を名乗る女性のアイリスに伝えられ、自分を見下していた人間から逆に見上げられる立場になる事を彼は知らない。 ※タイトルを変更しました。(旧題:不遇職に役立たずスキルと馬鹿にされましたが、実際はそれほど悪くはありません)。書籍化に伴い、一部の話を取り下げました。また、近い内に大幅な取り下げが行われます。 ※11月22日に第一巻が発売されます!!また、書籍版では主人公の名前が「レナ」→「レイト」に変更しています。

処理中です...