ありがとうの詩

春秋花壇

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窓越しの祈り

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「窓越しの祈り」

病院の面会室に続く長い廊下は、白く冷たい光に包まれている。けれど、その先にいる息子に会うことはできない。新型感染症禍以来、閉鎖病棟では面会も差し入れも厳しく制限されているからだ。

いや、そうじゃない。息子の状態が不安定だからだ。

「お母さま、申し訳ありませんが、差し入れもお預かりできません。」
受付で看護師にそう言われたとき、私は持参した袋をそっと抱き締めた。中には彼の好きだったスナック菓子や雑誌、家で炊いたおはぎが入っている。自分の手で届けるどころか、預けることすらできない現実が、こんなにも重いのだと知る。

病室の窓を外から見上げる。窓には鉄格子があり、その向こうには息子がいるはずだ。だが、彼の姿を見ることも声を聞くこともできない。ただ祈るしかない。

「元気にしているの? ご飯は食べられている? 夜は眠れている?」

問いかけは風に流れていく。答えはない。それでも、ここに来なければ、私は何もできないまま押し潰されてしまう。

彼の病気は長い闘いを余儀なくする。入院前、彼は何度も暴れ、泣き叫び、そして自ら命を絶とうとした。それが病のせいだとわかっていても、家族としての無力さに苛まれた日々。

入院は最善の選択だったのだろう。医師はそう言っていたし、家族もそう受け止めるしかなかった。けれど、離れて暮らす日々が彼の心にどれほどの孤独を生んでいるのか、想像するだけで胸が裂けそうになる。

「ママ、会いたいよ。」

その一言が何度も頭をよぎる。電話越しに聞こえた彼の声はかすれ、か細く、泣きそうな響きを帯びていた。会いたい。私もだ。それでも、病院の規則は厳格で、母である私の願いを受け入れてはくれない。

面会が許される日が来るだろうか。息子の好きなものを手渡せる日は戻ってくるだろうか。その答えを求めることすらできない現実が、どれほどの重みで私を押し潰しているか。

ある日、病院から一本の電話がかかってきた。看護師の穏やかな声が聞こえる。

「お母さま、息子さんですが、少しずつ落ち着きを取り戻してきています。私たちも経過を見ながら、今後の方針を検討しているところです。」

「差し入れはまだ難しいでしょうか?」思わず聞き返す。

「今はまだですが、落ち着き次第、まずは面会から再開できるかもしれません。」

その言葉に私は小さく息を吐いた。わずかでも可能性があるなら、希望を手放さないでいよう。

次の日、私はまた病院を訪れた。差し入れは持たず、窓を見上げて静かに祈る。

「どうか、面会ができるようになりますように。どうか、差し入れができるようになりますように。あなたの好きなものを手に取らせてあげたい。あなたの笑顔を直接見たい。」

鉄格子越しの窓は、今日も冷たく光るだけだ。それでも、遠い日の光のような希望が、胸の奥で微かに灯るのを感じていた。

面会が再開されるその日、私は病室で息子に会った。彼は少し痩せていたけれど、目に生気が戻っている。

「ママ、来てくれてありがとう。」

その言葉に私は泣きそうになる。差し入れの袋を彼に手渡すと、彼は微笑み、好きだったお菓子の袋を開けた。その姿を見て、私はまた静かに祈った。

「これからも一緒に歩いていこうね。」







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