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第二部

音楽が繋いだ心

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音楽が繋いだ心

訪問介護の仕事で特に印象に残っているエピソードは、ある利用者との出会いです。

その方は80歳を超えた一人暮らしの女性で、家族は遠くに住んでいて、日常的なサポートがほとんどない状態でした。訪問介護を始めたばかりの頃、私はその家に行くのが少し怖かったんです。彼女はいつも無表情で、言葉も少なく、何を考えているのかわからない人でした。

初めて彼女の家を訪れたとき、家の中は驚くほど静かで、少し冷たさすら感じました。部屋は整然としていましたが、どこか無機質で、人が暮らしている温もりがあまり感じられなかったんです。私が「お手伝いします」と声をかけても、彼女はほとんど反応を示しませんでした。

数週間が経つと、少しずつですが、彼女との距離が縮まっていきました。ある日、ふとした会話の中で、彼女が昔、ピアノを弾いていたことを知りました。私は音楽が好きだったので、その話題で彼女と話を続けてみたんです。すると、彼女の表情が少しだけ柔らかくなり、目に懐かしそうな光が浮かんでいました。

その日から、彼女は私に昔の思い出を少しずつ話してくれるようになりました。ピアノの話だけでなく、若い頃の恋愛や、家族との思い出など、彼女の人生が少しずつ見えてきました。その一つ一つのエピソードが、彼女にとってどれだけ大切なものかが伝わってきました。

そして、ある日、彼女は「真理さん、今日は特別にお願いがあるの」と言って、古いピアノの前に私を招いてくれました。「弾けるかどうかわからないけれど、久しぶりに弾いてみたいの」と言って、彼女は鍵盤に手を置きました。

彼女が奏でる音は、決して完璧なものではありませんでしたが、そのメロディーには深い感情が込められていました。私はその場で彼女の音楽を聴きながら、思わず涙がこぼれそうになりました。彼女の人生の一部に触れることができた、その瞬間が私にとって何よりも大切な思い出となりました。

その後、彼女との訪問は、毎回音楽を楽しむ時間になりました。彼女が弾くたびに、私たちの間に新しい絆が生まれていったのを感じました。彼女との出会いが、私にとって訪問介護の仕事の意義を深く考えさせるきっかけとなりました。

このエピソードは、今でも私の心に残り続けています。訪問介護の仕事は、ただ生活を支えるだけでなく、人との心のつながりを築く大切な役割があると教えてくれた出来事でした。








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