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66 奇妙な音

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バタン。

かさかさ。

かすかに聞こえる奇妙な物音で目が覚める。

「ん?夢」

混濁した意識の中で、夢か現実かを必死で判断しようとする。

隣の台所から、誰かが冷蔵庫を開けている。

中を模索している。

昔、何かの映画で見た、空き巣の手口。

確かに私も、冷蔵庫の中に現金を入れている。

たぶん、身罷ったかあさんもそうしていた。

レコードのように刷り込まれた親の行動が、無意識の私に反応していく。

教わったわけでもないのに……。

とにかくだ、今はそんなことはどうでもいい。

もしも誰かがいるとしたら、わたしは今、何をしたらいい?

枕もとのスマホを手に取った。

そうだ、わたしは裸で寝たのだ。

逃げるにしても、服を着ないと。

ここは、仏間。

わたしの洋服は、二階の子供部屋に行かないとない。

「ならば、何を着る?」

犯人は、流しの引き出しや食器棚の引き出しを開けているらしい。

わたしは、心から裸で寝たことを後悔した。

そうだ、布団のそばにガウンがある。

真っ白なタオルでできたシティーホテルにも置いてあるような普通のガウン。

それを羽織れば、とりあえずは、この部屋から脱出できる。

素早く、羽織ると、スマホをしっかり持つて玄関へとできるだけ音をたてないようにして

ぬけ足すり足忍び足で移動する。

そーとそーと。

「ううう、見つかりませんように」

逃げおうせられますように。

鋼のように心臓が高鳴る。

「ふー、やっと玄関にたどり着いた」

あと少し。もう少し。

心臓が口から飛び出そうなほど、全身の血液が流れていく。

どっくん、どっくん。

へなへなと床に座り込んでしまいそうな自分を鼓舞する。

「頑張れ自分」

「神様、助けて!!」

思うように体が動かない。

鉛のように体が重い。

まるで全ての時が止まっているかのように一つ一つの動作がはがゆい。

耳鳴りがする。

シャーって音がする。

極度に緊張しているせいだろう。

よくドラマなどでおしっこを漏らしてしまうシーンがあるけど、

もしもそうなったとしても不思議ではないようなパニック状態。


そーと靴を音をたてないように履き、玄関の鍵を開ける。

「一体どこから入ってきたんだろう?」

スローモーションのように自分の行動、思考が鮮烈に刻み込まれていく。

「かあさん、こわいよー」

ドアを開けた途端に、私は自分が何をしているのか分からないほど困惑していた。

とにかく必死で走った。後ろを振り向くゆとりもなく、

大きな道路に出てもろくに左右を確認もしないで

一目散に人のいそうなコンビニへと。

体中のアドレナリンが一気に解き放たれていくような

異様な興奮状態。

反比例するように心は頭かくして尻隠さずのような

どこかに潜り込みたいような奇妙な感覚に包まれていく。


コンビニに入ると、いつものお兄さん?おじさんがいる。

同じ年くらいだろうか。

かあさんが身罷ったばかりの頃、寂しさから他愛のない話をしていた人。

「お勧めのパンありますか?」

と、聞くと、

「僕はこれが好きなんです」

と、中にホイップクリームが入った揚げパンを教えてくれた人。

血相を変えて、バスローブ一つで飛び込んできたわたしに

驚いたのか棚に陳列していた手を止めて話を聞いてくれる。


「泥棒が家にいるんです。どうしたらいいですか?」

「とりあえず、110番」

「はい、ありがとうございます」

もしも、わたしの勘違いだったらどうしよう。

警察を呼んでは見たものの、泥棒なんていなかったら……。

僅かな時間のはずなのに、様々な設定が頭をかすめる。

間違いなら間違いでもいいや。

とりあえず、110番。

「はい、こちら110番。事件ですか?事故ですか?」

「あのー、もしかしたら違うかもしれないのですが、泥棒が家にいるみたいで」

「了解しました。すぐに向かいます」

住所と名前を伝える。

すぐそばのコンビニにいる事を話した。

コンビニお兄さんは、電話できたことを確認すると安心したような顔つきでこちらを見ている。

「もしかしたら違うかもしれないのですが、冷蔵庫の開ける音や引き出しを開ける音がしたんです」

「わかりました。今、向かっています」

5分も立たないうちに、二人のお巡りさんが自転車でかけつけた。

わたしは、まだコンビニにいる。

「犯人はまだ家の中にいると思います」

警察官は無線でその旨を伝えている。

「家に帰った方がいいですか?」

「いいえ、巻き込まれる可能性があるのでここに居てください」

膝が笑っている。

みっともないけど、がくがくと震えている。

そう、わたしはのみの心臓なのだ。

今にも泣き出しそうなくらい興奮している。

よく今まで叫ばなかったなと思うくらいだ。

精神病院の受診の時も、患者さんで突然大きな声を出す人がいる。

その度に、みっともないほど取り乱してしまうのだ。



1時間も立っただろうか。

どうやら、犯人はわたしの玄関の開け閉めの音で逃げてしまったらしい。

でも、実際に荒らされた跡があり、勘違いではなかったようだ。

家に戻ると、冷蔵庫の海苔の缶や食品が散乱していた。

わたしは、海苔の缶に現金3万円をいつも入れていたのだ。

中を見ると、海苔はそのままに、四つ折りにたたんだ3万円はなくなっていた。

侵入経路は、台所の掃き出しの大きな窓から。

そう、柿の実を取ってきて鍵もかけずにいたのだろう。

「ばかだな~」

何人かの鑑識の人が来て足型をとったり、指紋を取っている。

「被害は現金だけですか?」

「だと思います」

わたしのバックは、二階の子供部屋に置いてある。

中を確認したが、お財布を弄られた形跡はなかった。

中の現金もカードも無事である。

と言っても、中の現金をいちいち確認してるわけではないのだが……。

わたしは家に帰ると、直ぐに

「洋服を着てもいいですか?」

と、刑事さんに確認を取り身支度を整える。

裸の上にはおっただけで、下着さえつけていないのだ。

急に恥ずかしくなり、耳が熱くなる。



そうか、そうだよね。一人住まいなんだからもっと防犯に気を付けないとね。

お金をかけてセキュリティー対策も必要だが、もっと基本的な

「鍵をかけて、声かけて」

みたいな簡単な事が全くできていないことを思い知らされた。

本当にある日突然、何から何まで全部自分でやらなきゃいけないことに

ついていけない自分がいる。

過度に自分を責めてしまったり、どうせ○○とぶん投げたくなったり。

優しそうな刑事さんに、

「いきなり外に放り出されたみたいで何一つできていない自分にびっくりしてしまうんです」

と、泣きそうな顔で言うと、

「みんな同じですよ。そうやって、少しずつ大人になるんです」

と、答えてくださる。


そうだ。問題が起きる事が問題ではなく、問題をどうとらえ、

どう対処したかが問題なんだ。

「ありがとうございます。対処します」

こんな夜中に警察沙汰を起こして、警察関係者も大変だ。

覚えたばかりのお茶の入れ方で、心からのおもてなしをすると

「こんなおいしいお茶飲んだの久しぶりだな」

と、目を細めてくださる。

「それにしても、海苔の缶の中に現金が入ってるなんてよく解りましたよね」

と、わたしが半分呆れ顔で言うと、刑事さんは

「冷蔵庫にお金を入れている家は、結構多いんですよね。

へそくりを何十万も隠していた奥さんもいましたよ」

世の中にはいろんな人がいるもんだと感心させられる。



ゆっくりでいい。あせらなくていい。

少しずつ、少しずつ。

わたしは大人になっていく。
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