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飽き飽きするような日常なのに、小鳥たちは楽し気に集いおしゃべりしてる。

虫は、きりぎりすもこおろぎもマツムシも競い合って、秋の夜長を彩っている。

雑草はこれでもかというほど、背丈を伸ばし、嫌になるほど草の実をわたしの洋服に偲ばせる。

さやかな秋風が頬を撫で、その涼しさが母の身罷ったわたしに一人ぼっちを感じさせた。

満足が壊れていく。

食べても食べても満腹感は味わえない。

お花を買っても並べるだけで、何の感動も愛着もない。

木の葉やお花たちはあんなにも艶やかな色を携えてわたしの目を楽しませてくれようとしているのに、

わたしには、冬のモノトーンの風景と大して変わらない様にしか見えていない。

人は、何度もこの虚無感、喪失感を味わって大人になっていくのでしょうか。

幸せなままでは生きられないのでしょうか。

どうして神様は、アダムとエバだけを追い出して、新しい罪のない完全な人間を作り直さなかったのでしょうか。

そうすれば、わたしの発達障害も苦しまなくて済んだかもしれないのに。

感謝や喜びよりも、無い物ねだりや文句が何と多いことだろう。

そんな事を想いながら、明け方の公園を歩いていると、

いつものおばあちゃまがとぼとぼと、ラジオ体操へと向かう。

わしがアベリアの白い小さなお花のにおいを嗅いでいると、近づいてくださって、

「なにしてるの?」

って。

「このお花、粉っぽい甘いにおいがするから小説に書こうと思って」

と、答えると、一緒にお花のにおいを嗅いでいる。

「ほんとだ。かわいいね」

「うん、旦那さん無くなってどのくらいになります?」

と聞くと、

「もう、3年になるよ」

って、綺麗な花柄のマスクをつけ直してながら答えてくれる。

「もうそんなになるんですか」

「ね、はやいよね」

って、でも寂しそうじゃない。

「寂しくはないんですか」

と聞くと、

「だいぶ慣れた」

わたしもあと、2年半くらいすれば色を取り戻す事が出来るのだろうか。

「何時も綺麗なマスクをされていすよね。どこで買うんですか」

と、問う。

「長野の親せきの子供が作ってくれるの」

「長野にはよくいかれるんですか」

「旦那が生きていた時には、実家があっちだから言っていたけど、今はいかない」

「それでも、気遣って貰えるのは嬉しいですよ」

「(((uдu*)ゥンゥン」

って、嬉しそうに話してくれた。

何時もなら一緒にラジオ体操に行ったりするんだけど、ここのところ、

わたしは元気が無くて、家の中でやりたくない気持ちと闘いながら熟している。

「踊りの会で集まったり、ご近所でお茶を飲みに行ったり、楽しいわよ」

って、やっぱり、もっと人と会うようにしないとだめかな。

せっかくの地球を悲劇のヒロインを演じて、楽しめないのはもったいない。

ほら、銀木犀も咲いてるよ。

鏡を見て笑う練習。

少しはましな顔になってきたかな?

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