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「ばきーーん」

耳をつんざくような音がする。

太陽は頭上でこれでもかとばかりに照り輝いている。

雲一つない快晴。

汗が顎からぽたぽたと滴り落ちる。

どろどろと溶解しそうな灼熱の炎天下。

こんな日に外にいるわたしは狂気の沙汰だと思う。

だって、自分ではどうしようもない自然現象に勝てっこないもの。

東京 温度36℃、湿度64%。

向日葵が似合いそうな青い空にギラギラとした太陽が燃える。

シャンデリアのようにきらきらと光輪を携えて。

体温を超える気温。

わたしは自転車が壊れたかと思い、何度も止まった。

自分の住んでいる家が持ち家なのか、借家なのかを確かめる為に法務局に向かっている。

何もかもとろけてしまうんじゃないかと思うくらい

アスファルトの照り返しが暑い。

多分路面はゆうに50℃超えているだろう。

今年の秋には80億を超えるという美しい星、地球。

だんだん住みづらくなってきたな。

汗をふきふき必死に仕事をしてる人たちがいる。

17年間、子供部屋おばさんとしてニート生活をしてきた私には、

この炎天下、外にいる事自体、異常行動。

お家でおとなしく、おしかつかオンラインゲームをしていたい。

「なんだ?」

何度も音の出所を確かめるのだが、未知との遭遇。

自転車の前の籠に入っているバッグやタオルでくるんだ凍らせたペットボトルを確かめる。

まだ自転車を走らせて10分もたたないのにかなりの氷が解けている。

周りについた水滴がタオルを濡らし、いい感じに冷たくなっている。

水分補給をしようとタオルを外した途端、

「バチーーン」

な~んだ、コイツだったのか。

音の正体は…。

神渡のように氷が割れる音だったんだね。

すごいな。びっくり。

それを楽しんでいる自分にもびっくり。

ごくごくと喉を鳴らして、ペットボトルの溶けた氷水を飲む。

「うまいーーーー」

「うまいぞーーーー」

歯まで乾きそうなわたしの熱した口の中を速やかにあでやかに通り過ぎていく。

ごくっごく。

周りに音が聞こえてるんじゃないかと思うくらい大きな音を立てて。

キーンと冷えたその液体は、ほてった体の熱をすーと爽やかにしてくれる。

冷たい水を口の中で右に左に転がして涼をエンジョイしてる。

ラップにくるんで持参した岩塩を口に含む。

ザラメのように大きめの粒に

「ミネラル補充」

(帰りに海藻を買ってサラダを食べたいな)

玉ねぎも薄く刻んでお刺身とカルパッチョみたいにできたら嬉しいな。

水分だけの補充だとこむら返りになる人もいるようだ。

お料理それほど得意じゃないのに、ひさしぶりの自由を心から楽しんでいる。

今回が最後の外泊になるはずだ。

もうすぐ3ヵ月の入院期間も無事に終わる。

これからは、食事も入浴も就寝も自己責任。

少しでも生活しやすいように変えて行こう。

変わって行こう。

「めんどくさい」

と言わなかった自分に冷たいお水で乾杯。


法務局に着くまでに、何度もスマホの地図を確認する。

交番でも聞いた。

通りすがりの人にも声をかけて確認。

そうして言われたようにしていれば簡単に目的地に着けたはずなのに。

私の頭は一体どうなっているんだろう。

まっすぐと言われているのに、突然右に曲がったり左に折れたり…。

結局また元の場所に戻ったり。

しないだろう普通。

そうだ、引きこもりになる前も自分の異様な行動にうんざりしていた。

子供の頃から、突然の行動発作に自分でもびっくりした。

「どうしてそんなことをしたの?」

と、聞かれる事が度々あった。

「ねー、ちゃんと聞いてるの?」

と、何度も言われた。

わたしが不真面目なのではない。

明けたら閉める。出したらしまう。電気を付けたら消す。

そんな当たり前のことができなかった。

何度注意されても忘れてしまう。

そして、ある日突然、そんな自分自身と付き合えなくなって

何処にもいかず布団と結婚したのだ。

何もしなければ、何事も起こらない。

こうして、叱られる事も注意される事もなく

安穏とした生活をあの子供部屋でし続けて来たのだ。

体たらくなはじめの一歩を思い出し、唖然とする。

「あの生活に戻るのか」

私は怠けものではない。

むしろ、まじめすぎるくらい真剣に頑張ろうとする。

でも、できない物は出来ないのだ。


今回の外泊で、何がしたいのか

それは独りでもできるのか、それとも援助が必要なのか。

それを書き出してくる課題の最初に

鮮明に思い出した過去の出来事を箇条書きにしていく。

私は私の問題が見えてなかったんだよね。

見たくなかったんだよね。

それがわかっただけでも、大きな収穫だといえる。


せっかく、元に戻ったのだから、今度は素直に教えられたようにまっすぐに進んでみた。

それから20分後、無事に目的地の法務局の出張所にたどり着くことができた。

色とりどりの日日草が鮮やかに笑う。

白、サーモンピンク、淡いピンク、濃いピンク、紅色。

色んな色があっていい。

色んな花があっていい。

わたしはわたし。

人は人。

わたしの人生の主人公は世界でたった一人のかけがえのない私なのだから。
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