感情

理性と感情

人をつくるのは理性であり、人を動かすのは感情である

ゲーテ

「理性と感情」

彼女の名は玲子（れいこ）。都内の大手企業で働くキャリアウーマンとして、誰もが認める優秀な存在だった。玲子はどんなに複雑な問題にも冷静に対処し、理性的に判断を下すことで知られていた。部下たちも、彼女の判断力に絶対的な信頼を寄せていた。

「人を作るのは理性である」と、玲子は常に自分に言い聞かせていた。感情に流されることは弱さであり、プロフェッショナルとして冷静さを保つことが何よりも重要だと信じていたからだ。

ある日のこと、玲子はプロジェクトの進行状況を確認するため、チームリーダーである山田と打ち合わせをしていた。新商品の発売が迫っている中、進捗が予想以上に遅れていることが判明した。

「どういうこと？」玲子は冷静さを装いながらも、眉をひそめた。

「すみません、メンバーが思ったよりも作業に時間を取られていて……」山田は苦しそうな顔で説明する。

「だからと言って、スケジュールがこれほど遅れるのは問題よ。予測ミスじゃ済まされないわ」

玲子の口調は冷たく、山田は無言で頭を下げた。彼女はすぐに解決策を考え、指示を出す。感情に流されず、理性的に問題に対処することこそ、彼女の強みだった。

その夜、玲子はデスクに残り、黙々と資料を整理していた。周囲が退社する中、一人だけ仕事を続けていた。彼女の中には常に「もっとやらなくては」というプレッシャーがあった。しかし、同時にどこか空虚な感情も抱えていた。

ふと、スマホが鳴り響いた。画面には、長年の友人である美奈からのメッセージが表示されていた。

「玲子、最近大丈夫？いつも忙しそうだけど、少しでも休んでね」

玲子はその短いメッセージに、少しだけ安堵を感じた。美奈とは大学時代からの友人で、いつも彼女を気遣ってくれる存在だった。だが、玲子はすぐにその感情を振り払い、再び仕事に集中した。

「感情に流されてはいけない。大事なのは理性的な判断だ」と、自分に言い聞かせた。

数週間後、ついに新商品の発売日が近づいてきた。玲子のチームは無事にプロジェクトを進め、結果的に予定通りの商品発表ができる見込みとなった。玲子の指導力と理性的な対応が大きな成功要因であった。

だが、その日、玲子はふと一人の部下の顔を見て気づいた。若手社員の佐藤が疲れた表情をしていたのだ。彼は深夜まで残業を続け、なんとか締め切りに間に合わせようと必死に働いていた。その姿を見た玲子は、一瞬心の中に違和感を覚えた。

「彼、少し無理しているかもしれない……」

その思いを口に出そうとしたが、彼女はすぐに自分を制した。感情的に考えるのは良くない。プロジェクトを成功させるためには、皆が全力を尽くす必要があるのだから。

しかし、その数日後、佐藤が体調を崩して倒れたと報告が入った。過労が原因で、入院することになったのだ。

「どうして気づけなかったのか？」玲子は自分を責めた。理性的な判断を優先して、彼の感情や体調に配慮できなかったことが悔やまれた。これまでの自分のやり方が間違っていたのではないかと、玲子は初めて真剣に考え始めた。

その夜、玲子はまたデスクに一人残っていた。仕事の成功にも関わらず、心は重かった。ふと、美奈からの言葉が頭をよぎった。

「感情に流されることは、必ずしも悪いことではない。感情こそが人を動かす力になるんだよ」

美奈が以前に言った言葉が蘇ってきた。玲子はそれを当時、無視していたが、今になってようやくその意味を理解し始めていた。理性だけで動くことは、確かに正しいかもしれない。だが、人間は感情の生き物であり、感情がなければ人は前に進む力を失ってしまうのだ。

玲子は立ち上がり、深呼吸をした。感情を押し殺すのではなく、それに向き合うことが必要だと感じた。理性と感情、その両方を大切にすることが、人を動かし、成功へと導くのだろう。

翌日、玲子は全員に早退を指示した。休息もまた重要な仕事の一環であると、部下たちに伝えるためだった。

「人を作るのは理性かもしれないけど、人を動かすのは感情なんだ」と、玲子は自分に言い聞かせ、少しだけ優しい笑顔を浮かべた。

これからは、彼女もまた自分の感情に素直に向き合い、周囲の人々との絆を大切にしていくのだろう。感情が人を動かし、そして人を成長させる力になることを、玲子はようやく理解したのだった。