感情

自己容認

「自己容認」

茜はいつも鏡を見るたびに、深いため息をついていた。目に映る自分の顔は、どこか不満げで、どれだけ化粧をしても心から満足できることはなかった。鏡越しに映るのは、ただ「足りない」と感じる自分自身。

30歳になった茜は、表向きには充実した生活を送っているように見えた。広告代理店で働き、友人にも恵まれている。SNSには、カフェで撮った写真や旅行の思い出が並び、楽しそうな笑顔を投稿している。しかし、それは彼女の「完璧でいたい」という意識が作り上げた虚構に過ぎなかった。

「私なんか、まだまだダメだ……」

その言葉が、心の中で何度も繰り返される。

幼い頃から、茜はいつも「良い子」でいなければならないと思っていた。周囲からの期待に応えるため、成績は常にトップクラス。両親から褒められることが彼女の生きがいであり、それ以外に自分の価値を見出せなかった。

その習慣は大人になっても続いた。仕事では常に最前線で走り続け、ミスをすれば自分を激しく責めた。友人との会話でも、絶対に失敗や弱さを見せることができない。完璧でないと、誰からも愛されないと思っていたのだ。

しかし、心の中には常に不安と不満が渦巻いていた。どんなに努力しても、自分を満足させることができない。何かが欠けている、もっと頑張らないといけない——そんな思いが茜の心を押しつぶし、次第に自分自身に対する嫌悪感へと変わっていった。

ある日、会社で重要なプロジェクトが失敗に終わった。茜はその責任を自分に押し付け、帰宅後、部屋の隅に座り込んで涙を流した。壁の時計の音が響く中、茜は何度も自分を責めた。

「私なんか、全然ダメだ……。みんなに迷惑をかけた。こんな自分、どうしてここにいるんだろう？」

その日は眠れず、深夜まで起きていた。ベッドに横たわっても、心の中で渦巻く否定的な感情が止まらない。これまでもこうした感情はあったが、その夜は特に強く、茜を追い詰めていた。

翌日、目が覚めると、茜は何もする気力が湧かなかった。会社には「体調が悪い」とだけ連絡を入れ、ベッドの中で一日を過ごした。誰とも話さず、何も考えられない。ただ、自分が何のために生きているのか、その意味すら分からなくなっていた。

数日後、茜は自分の気持ちを整理するために、思い切って心療内科を訪れることにした。診察室で医師に今の心情を話すと、静かに耳を傾けてくれた。

「茜さん、あなたはずっと自分に厳しくしてきましたね。でも、それが今、少し負担になってしまっているんです。自分を責めすぎることはありません。まずは、自分自身を受け入れることから始めましょう。」

「自分を受け入れる……？」

その言葉に、茜は戸惑いを感じた。これまで、自分に厳しくあることで成功してきた。もっと頑張らなければならないという意識が、今の自分を作り上げてきたと信じていた。しかし、医師の言葉はそれとは全く逆だった。

「完璧でなくても良いんです。まずは、自分がここまで頑張ってきたことを認めましょう。少しずつでいいんですよ。」

医師のその言葉を聞いた時、茜の心の中に小さな灯がともった。自分を責めるのではなく、今までの自分を認めてみる。そんな考え方はこれまで思いつかなかった。心のどこかで「もっと頑張らなければ」と思い続けていたが、今はその気持ちが少しずつ和らいでいくように感じた。

帰宅後、茜は自分の部屋に戻り、ふと鏡を見つめた。そこに映るのは、疲れ果てた自分。以前のように「足りない」と感じることはあったが、今日の自分は少し違う。

「こんなに頑張ってきたじゃないか……」

茜は小さな声でそうつぶやいた。これまで、自分を否定することばかりだったが、今は少しだけでも自分の努力を認めてあげてもいいのではないかと思えるようになった。

数週間後、茜は少しずつ、仕事に復帰し始めた。無理をしない範囲で、自分のペースを守りながら働くように努めた。そして、時には失敗しても自分を責めすぎないように心がけた。完璧でなくてもいいという考えが、少しずつ茜の心に浸透していった。

友人たちとの会話でも、以前のように自分を「完璧に見せる」ことに固執することがなくなった。弱音を吐いてもいいし、愚痴をこぼしてもいい。そうすることで、茜は初めて友人たちと本当の意味で心を通わせることができたような気がした。

ある日、久しぶりに訪ねてきた友人の美咲が言った。

「茜、なんだか前よりもリラックスしてるね。最近、いい感じじゃない？」

その言葉に、茜は驚きつつも嬉しく感じた。以前の自分なら、美咲の言葉を真に受けることなく、「まだまだ足りない」と思っていただろう。しかし今は、その言葉を素直に受け入れることができた。

「ありがとう。少しずつだけど、自分を認めることができるようになってきたのかもしれない」

美咲は微笑みながら、茜の手を握った。

「それが一番大事だよ。自分を認めてあげること、すごく大事。」

その言葉に、茜は静かに頷いた。自己容認——それは決して簡単なことではないが、少しずつ進んでいけば、必ず自分を受け入れられる日が来ると信じていた。

茜はこれからも、完璧であることを追い求めず、自分を少しずつ認めていく旅を続ける。