感情

どうせわたしなんか

どうせわたしなんか

秋の夕暮れ、空は紅く染まり、涼しい風が心地よい。中村千尋（なかむら ちひろ）は、自室の窓からその風景を眺めながら、机に向かっている。彼女の目の前には、山積みになった書類と未完成の原稿が広がっている。焦りと疲れが混じった表情で、彼女は手を止めてため息をついた。

「どうせわたしなんか…」千尋は自分に向かって呟いた。これが彼女の常套句で、落ち込みそうになると必ず口にする言葉だ。何か上手くいかないことがあるたびに、彼女の心にはこの言葉がひそかに忍び込んでくる。自分自身を否定するこのフレーズは、長年にわたり、彼女の心の中で根を張っていた。

今日は、出版社からのフィードバックを受けて、修正を試みていた。しかし、その指摘は思いのほか厳しく、千尋の心に重くのしかかっていた。彼女は努力しているつもりでも、結果が出ないときが続くと、自分の能力に疑念を抱いてしまうのだ。

「どうせわたしなんか…」その言葉が、また頭の中でリフレインし始めた。千尋は自分を責め、内なる声に耳を傾ける自分が嫌になった。彼女の心は暗い影に覆われている。かつては自信を持っていた彼女も、今ではその言葉が壁となって立ちはだかるようになっていた。

過去の成功や喜びが記憶の中で霞んでしまい、「どうせわたしなんか」という言葉がすべてを支配していた。彼女は、ある種の自己防衛のようにその言葉を使っていた。自分が失敗することが決まっていると信じることで、失敗から受ける衝撃を少しでも和らげようとしていた。

その夜、千尋は疲れ果ててベッドに横たわり、天井を見つめながらまたしても「どうせわたしなんか」とつぶやいた。部屋の静けさの中で、その言葉がますます大きく感じられる。彼女は、自分が努力しても報われないと思い込んでいた。そのため、成功することへの恐怖と不安が、常に彼女の心にひっかかっていた。

しかし、そのとき、彼女の携帯電話が振動した。画面に表示されたのは、昔の友人である美咲（みさき）からのメッセージだった。美咲は、千尋の昔からの親友で、いつも励ましの言葉をかけてくれる存在だった。メッセージには、最近の活動を心から応援しているという内容と、千尋の努力を見ているという励ましの言葉が書かれていた。

「おかげで気づいたことがあるんだ」と美咲のメッセージには続いていた。「失敗は成功への一歩であり、あなたが努力している姿は本当に素晴らしいよ。自分を信じて、続けていってほしい。」

千尋はそのメッセージを読み、心が少し軽くなった。美咲の言葉が、彼女の心に温かさをもたらした。彼女は、自分が「どうせわたしなんか」と思い込んでいたことが、実は自分を守るための幻想に過ぎなかったことに気づいた。

その夜、千尋は眠りにつく前に、自分自身に対する問いかけを始めた。「どうせわたしなんか」ではなく、「どうして自分を信じられないのか」と。彼女は、自己否定の言葉に縛られている自分を見つめ直し、心の中でその言葉を徐々に取り去っていく決意をした。

翌朝、千尋は新たな気持ちで目覚めた。彼女は、自分が「どうせわたしなんか」と思っていたことが、実は自分を成長させるための試練だったと理解し始めていた。彼女は、自分自身に対する信頼と希望を取り戻し、一歩一歩前に進むことを誓った。

「どうせわたしなんか」ではなく、「自分にできることを全力でやろう」と。千尋は、新たな決意を胸に、再び原稿に向かってペンを走らせることにした。彼女の心には、かつての自信と希望が戻り始めていた。