陽だまりの家

『メンタル豆腐の行方』 2

『メンタル豆腐の行方』 2

高島平団地は、かつて「自殺の名所」として報道された場所だった。高層階からの飛び降り自殺が相次ぎ、そのニュースが何度も繰り返し流れた。住民たちの間で不安と恐怖が漂い、団地に対するイメージは悪化する一方だった。しかし、時間が経つにつれて、次第にその出来事も忘れられていき、団地はただの街の一部として日常に埋もれていった。

それでも、サクラはその過去が頭を離れなかった。高層階に住むことに対する恐怖を感じることもあった。自分のメンタルが崩れた時、また同じように何もかもが重く感じてしまうのではないかと、不安になることがあった。

その日も、サクラは心が折れそうなほど辛い気持ちに襲われていた。自分が弱いと感じ、何もできない自分に苛立っていた。布団をかぶり、目を閉じた。涙が溢れて、枕に染み込んでいく。何もかもが無力で、どうしていいのかわからなかった。

その時、部屋の扉が軽くノックされる音がした。

「ママー？」

声がしたのは、6歳の長女ハルだ。サクラは布団を引き寄せて目を閉じたまま、「何か用？」と低い声で答えた。

「ママ、これ。飲んで寝ようよ。」

ハルは冷蔵庫から一瓶のストロングチューハイを持ってきて、サクラの枕元に置いた。その小さな手が、サクラの心に温かいものをもたらした。

「ハル、これは…お酒だよ？」

「うん。ママ、元気になれるかなって思って…」

サクラは少し驚いた。ハルがこんなふうに、母親を気遣ってくれることに、言葉にできないほどの感動を覚えた。

「でも、お酒を飲むと、気持ちがもっと悪くなるかもしれないよ？」

「うーん、でも、ママが元気になれるなら、いいかなって思ったんだ。」

ハルはサクラの目を真剣に見つめていた。その瞳の奥に、無邪気な優しさと強い意志を感じる。

サクラはそのまま無言でハルを抱きしめた。泣くことを許してくれるような温かさが、子どもの小さな体から伝わってくる。

「ありがとう、ハル。ママは大丈夫。ハルがいてくれるから。」

サクラは静かに涙を流しながら、ハルの小さな肩を抱きしめた。

その後、ハルはサクラの隣に座り、布団をかけてくれた。少しだけ笑顔を見せて、そうしてサクラが眠るのを待った。サクラは、心の中で「ありがとう」と何度も呟きながら、次第に眠りに落ちていった。

その夜、サクラは不思議な夢を見た。団地の高層階から見える夜景が広がる中、ひとりで立っている自分がいた。その足元には、冷たく光る水たまりが広がり、そこに何かが映し出されているようだった。サクラがその水たまりを覗き込むと、目の前にハルが現れた。

「ママ、元気になった？」

サクラはその言葉を聞いて、夢の中で微笑んだ。そして、ハルの手をしっかりと握りしめる。暖かな手が、サクラの中で力強さを与えてくれるようだった。

「うん、ありがとう。私は大丈夫だよ。」

その言葉を最後に、夢の中での時間が静かに過ぎていった。

朝、目を覚ましたサクラは、少しだけ心が軽くなったような気がした。子どもたちの寝顔を見ながら、あの時のハルの言葉が頭の中で響いていた。

「ママ、元気になれるかなって思って…」

そう言って差し出されたストロングチューハイは、結局飲むことはなかったが、ハルの優しさが心にしっかりと残った。サクラは深呼吸をして、再び立ち上がる力を取り戻した。

子どもたちが元気に走り回る部屋の中で、サクラは少しだけ微笑みながら、前に進んでいく覚悟を決めた。どんなに小さなことであっても、力をくれる存在がいるから、今の自分を支えられるのだと思いながら。