陽だまりの家

よく噛む

よく噛む

サクラは、朝ごはんのきな粉バナナヨーグルトを口に運びながら、自然と口の中で噛む回数を数えていた。「ひと口30回を目安によく噛む」──それが彼女の今日の目標だった。食事のたびに、何かを意識して続けることで、心が少しずつ落ち着くような気がしていた。

「がんじがんじ、もぐもぐ、むしゃむしゃ。」
サクラはその音を意識しながら、ゆっくりと噛んでいく。仕事も、生活も、子どもたちの世話も、毎日が忙しく、いつも何かに追われている気がする。でも、朝のこの静かなひとときだけは、何も急がず、ただ食べることに集中する。

「がんじがんじ。」
バナナが噛み砕かれていく音が心地よい。たったのひと口でも、何度も噛むことで、食べ物がしっかりと味わえるようになり、体に必要な栄養がゆっくりと吸収されるのを感じる。サクラはそれを感じるたびに、心が少しだけ軽くなるのを実感していた。

子どもたちがまだ寝ている間に、ひとりで朝食を食べることができるのは、サクラにとって大切な時間だった。この時間だけは、何も考えずに、ただ自分のペースで食事をする。忙しい毎日の中で、あまりにも速く飲み込んでしまうことが多かったけれど、今日は違う。

「もぐもぐ。」
きな粉の香ばしさが口の中に広がり、バナナの甘さがまろやかに感じられる。ヨーグルトの酸味がそれらを引き立てて、サクラは少し笑顔を浮かべた。こんなにシンプルな食べ物でも、よく噛むことで味わいが深くなり、心も満たされていくような気がした。

「むしゃむしゃ。」
しばらく噛んでいると、少しだけ喉が渇いてきた。サクラはカップに入れた水を一口飲み、再びきな粉バナナヨーグルトに戻る。ひと口ごとに、心が落ち着いていくような感覚が広がり、どこか懐かしい安らぎを感じた。

「がんじがんじ。」
サクラはふと、思い出すことがあった。彼女がまだ子どもの頃、母が言っていたこと。それは、「よく噛んで食べなさい、ゆっくりとね」という言葉だった。子どもの頃は、それをただの注意として聞き流していたけれど、大人になってからその意味が少しずつわかってきた。

「もぐもぐ。」
忙しい日々の中で、噛むことさえも忘れてしまうことがある。でも、こうして静かな朝に「よく噛む」ことを意識すると、食事がただの義務ではなく、ひとときの贅沢に思えてくる。

食べることは生きることだと、サクラは再確認した。ひと口、またひと口、よく噛んで食べる。そうすることで、彼女は少しずつ自分を取り戻していくのだと感じた。

「むしゃむしゃ。」
目の前のヨーグルトがほとんど無くなったころ、ふと部屋の隅から子どもたちの足音が聞こえてきた。まだ寝ぼけた顔をして、ハルが一番に起きてきた。続いて、ヒナとミクも、眠そうな目をこすりながらリビングに入ってくる。

「お母さん、おはよう！」
ハルが元気よく言うと、ミクが「おかあさん」とつぶやきながら、足元に寄ってきた。サクラは微笑みながら、三人に向かって手を伸ばす。

「おはよう、みんな。今日は何をして遊びたい？」
サクラは子どもたちの顔を見つめながら、心からそう聞いた。食事を終え、気持ちが少し落ち着いたサクラは、子どもたちのことを考えながら、今日の一日をどう過ごすかを想像していた。

子どもたちは、それぞれに元気よく答え、サクラはその声を聞きながら、再び「よく噛んで食べる」ことの大切さを実感する。食事はただの栄養補給ではなく、心と体をつなげる大事な時間だ。サクラはそのことを忘れないように、毎日の生活に取り入れていくことを心に誓った。

朝の静かなひとときが、サクラにとって、何よりも大切な時間だった。そして、それは子どもたちとの時間に繋がる、ほんの小さな始まりに過ぎなかった。