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さとり世代の師走

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「さとり世代の師走」

12月の寒空の下、28歳のカナは、いつものように家と職場を往復する日々を送っていた。都内の中堅企業で事務職をしているカナの朝は、スマホから流れるアラームで始まる。起き抜けにベッドでSNSをチェックするのが日課だ。Instagramには友人たちが海外旅行やクリスマスパーティーの写真を投稿している。華やかな世界を眺めながらも、カナの心は驚くほど静かだった。

「いいね、とは思うけど、私には関係ないや。」

そう呟いてスマホを閉じ、冷たい空気の中で身支度を始める。経済的な安定を重視して選んだ職場での仕事は、刺激が少ないが大きな不満もない。上司の理不尽な指示を適当に受け流すスキルも、この歳になると板についてきた。退職する気もなければ、昇進を目指してバリバリ働く気もない。
「仕事は生活の手段。」それがカナの変わらぬ考えだ。

昼休み、カナは同僚のアヤとオフィス近くのコンビニに立ち寄った。いつものようにカフェラテを手に取りながら、アヤがぼそっと言った。

「今年ももう終わりだね。結局また何も変わらなかったなぁ。」
「変わらないのが一番いいんじゃない?」カナは軽く肩をすくめて笑う。

アヤは、自分の将来や恋愛の話をするたびに「どうせ無理だよね」と言って終わらせるタイプだ。その言葉には諦めというより、無駄にエネルギーを使いたくないという「悟り」のような空気が漂っている。それはカナにも共通する感覚だった。
「頑張っても報われるとは限らないから、最低限の努力で十分。」
これがカナたち「さとり世代」の暗黙の了解だった。

その日の夜、カナは家に帰ると、お気に入りの湯たんぽを抱えながら、通販サイトでクリスマスプレゼントを物色していた。両親に贈る実用的なタオルセットと、自分用の新しいイヤホンを購入する。散財を嫌うカナの買い物は、いつも必要最低限で堅実だ。ブランド品には興味がない。高価なものを手に入れても、それを持ち歩くことの煩わしさが勝ってしまう。

買い物を終えた後、YouTubeを流しながらSNSをチェックする。ある友人が投稿した、「今年こそは頑張る」という新年の抱負に関するコメントが目に留まった。カナは無意識に心の中でつぶやく。

「頑張るって何を? うまくいく保証なんてどこにもないのに。」

カナにとって、努力は大切なことではあるけれど、それだけで未来が変わるとは思えない。阪神淡路大震災や東日本大震災をニュースで見て育ったカナにとって、人生はどこか不確実で、理不尽なものだ。だからこそ、期待せず、無理をせず、できる範囲で日々を淡々と生きる。それが、カナなりの現実主義だった。

しかし、ふとした瞬間に、カナは自分の心の奥底に眠る小さな願望を意識することがある。この師走の夜も、湯たんぽで温めた足を伸ばしながら、考えがふと巡った。

「何か、これっていう目標があったら楽しいのかな……。」

そんな考えが頭をよぎるとき、カナは自分に言い聞かせるように目を閉じる。
「いや、そんなのなくても十分幸せだし。」

週末、カナは久しぶりに地元の友人たちと集まることになった。大学時代からの仲良しグループで、今ではそれぞれ違う街で働いている。居酒屋で乾杯を交わし、会話が弾む中、友人の一人がこんなことを言い出した。

「私たち、やっぱり色々と諦めるの早くない? 最近それが嫌になってきたんだよね。」
「え、何それ?」別の友人が笑う。
「いや、例えばさ、ちょっと冒険してもいいかなって思うようになってきたの。どうせダメでも、何か得るものはあるかもしれないし。」

その言葉に、カナは少しだけ心が動いた。これまでの自分にはない発想だったからだ。挑戦して失敗するのは時間の無駄だと思っていたけれど、それを「経験」と捉える見方もあるのかもしれない。

その夜、帰り道の電車でカナは窓の外を眺めながら考えていた。街のイルミネーションが流れる景色は綺麗で、どこか心を落ち着かせるものがあった。
「無理に頑張らなくてもいい。でも、ちょっとだけ新しいことをしてみてもいいのかも。」

そう思ったカナは、家に帰ると古びたノートを引っ張り出してきた。それは学生時代に書いていた日記だ。何年も開いていなかったそのノートには、当時の自分が未来に描いていた夢が綴られていた。

「そういえば、あの頃は小説を書きたいって思ってたんだよね……。」

カナはペンを取り、ノートの最後のページを開いた。そして、小さく一言だけ書き加えた。

「とりあえず、やってみる。」

師走の冷たい風が吹く夜、カナの部屋には、ほんの少しだけ新しい未来の気配が漂い始めていた。







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