春秋花壇

蓮根

 蓮根

秋が深まるころ、町の外れにある小さな農家の畑では、淡い夕陽に照らされた蓮根畑が広がっていた。白い花が静かに咲き誇り、涼しげな風に揺れている。秋の冷気が少しずつ心地よさを感じさせ、田畑がその豊かさを育んでいく。

その畑を見守るのは、早川美智子という女性だった。彼女は30代後半、都市での生活に疲れた末に、地元の小さな村に引っ越してきた。都会の喧騒から離れ、自然に囲まれて暮らすことを選んだのだ。彼女の家には、大きな畑がついており、蓮根を中心に様々な作物を育てている。初めての田舎暮らしに不安はあったが、日々の生活を重ねるうちに、次第に馴染んでいった。

「今年も、いい出来だね。」

美智子は蓮根の畑を見渡しながら、小さくつぶやいた。農業は全くの未経験だったが、彼女は日々、農作業に打ち込んできた。農業を始めてから少しずつ、自分の中で何かが変わっていくのを感じていた。都会の生活では味わえなかった、土地と向き合う時間。何より、土の感触を手のひらで感じることが、心に安らぎを与えてくれるのだ。

その日の夕方、町の商店街で知り合った農家の大島さんが、美智子の畑に立ち寄った。

「美智子さん、今年の蓮根、かなりいい感じですね。もうすぐ収穫の時期か？」

大島さんは、近隣でも評判の農家で、彼の畑も見事なものだった。美智子は毎日のように農作業をしながら、大島さんと情報交換をし、農業のコツを学んでいた。

「はい、もう少しで収穫です。でも、今年はちょっと悩んでいて。蓮根をどのタイミングで掘るべきか、まだ迷っています。」

美智子は少し考え込んだ。蓮根の収穫は、タイミングが難しい。あまり早く掘ると、根がまだ十分に育っていないし、遅すぎると根が固くなり、品質が落ちてしまう。最適なタイミングを見極めることが、農業において重要なポイントだった。

大島さんはしばらく黙って蓮根畑を眺め、やがてにっこりと笑った。

「大丈夫、君ならうまくやれるよ。無理に焦らず、自然のリズムに合わせていけばいい。大事なのは、心を込めて育てることだ。」

美智子は彼の言葉を受け止め、静かに頷いた。彼女は、すでにそのことを学んでいた。農業は、ただの作業ではなく、心を込めて大地と向き合い、育てることなのだ。思いがけない出来事や苦労があっても、それがすべて経験となり、やがて成果につながると信じていた。

収穫の日、朝日が昇る前から、美智子は畑に立っていた。彼女の手には鋭い鎌が握られており、地面に腰を下ろしながら、丁寧に蓮根を掘り起こしていく。泥にまみれた手が、だんだんと赤くなっていく。その手で掴んだ蓮根を、次々と取り出していくのは、まるで自然との対話のような感覚だった。

「今年もたくさんできた。」

美智子は、収穫した蓮根を大切に扱いながら、ふとそんな言葉を漏らした。蓮根の根は、見た目以上に力強く、土にしっかりと根を張っている。それを掘り出すたびに、彼女は自然の持つ力を感じることができた。

収穫後、美智子は蓮根を洗い、丁寧に選別していった。美しい形のものは市場に出荷し、少し傷がついたものや形が不揃いなものは、自分で使ったり、近所に配ったりした。彼女は、それがまた、周囲との繋がりを感じる瞬間でもあった。

「美智子さん、蓮根、おいしいね。これ、どんな風に料理してるの？」

町の人々が彼女の蓮根を手にして、その感想を話す。美智子は嬉しそうに笑って、蓮根の調理法を教える。蓮根の甘みと歯ごたえが、彼女の作る料理にぴったり合い、町の人々はその味を絶賛していた。

冬の初め、寒い日が続く中、美智子は自分の家の囲炉裏の前に座り、暖かな鍋を煮込んでいた。蓮根の煮物が、じわじわと香りを立てる。外の冷たい風が、窓ガラスを震わせるけれど、家の中はぬくもりで満たされていた。

「今年も無事に収穫できた。来年も、もっと良い蓮根を育てよう。」

美智子は、鍋をかき混ぜながら、心の中でそうつぶやいた。農業を始めてから、自分の中で変化があったことを実感していた。都会では感じられなかった充実感や満足感が、ここにはあった。そして、この蓮根のように、彼女自身も少しずつ深く根を張り、成長していくのだろう。

蓮根はただの作物ではなく、彼女の人生そのものであった。それは、時間をかけて育て、成長し、収穫し、そしてまた次の年へと繋がっていく。美智子はそのことを感じながら、静かな夜の中で、温かい鍋を囲んで笑った。