春秋花壇

小春

小春

陰暦十月、山々が錦に彩られる頃、村の暮らしにも次第に冬支度の気配が漂い始める。小春とは、そんな季節の中にほんのりと訪れる暖かなひとときを指す。

山間の小さな村に暮らす里乃（さとの）は、村の外れにある神社の宮司の娘だった。父親が亡くなって以来、里乃はまだ二十歳という若さで神社の管理を任されるようになった。木々に囲まれた古びた社は村人たちの心の拠り所であり、里乃もまたその伝統を守るべく懸命に働いていた。

ある日、朝の拝礼を終えた里乃は境内を掃き清めていた。すると、どこからともなく声が聞こえた。

「お嬢さん、この神社にはまだ神が宿っているのか？」

振り返ると、旅装束を纏った一人の男が立っていた。年の頃は三十歳前後。日焼けした顔に穏やかな表情を浮かべている。

「この神社の神様がどうしたんですか？」

里乃はほうきを置き、男の顔を見つめた。

「いや、噂を聞いたんだ。ここは願い事を叶えてくれる神社だと。」

男は笑みを浮かべながら言った。その笑顔はどこか儚げで、里乃の心に小さな影を落とした。

男の名前は藤吉（とうきち）。山を越え、里山を巡る旅の途中だという。彼は神社の縁側に腰を下ろし、静かに語り始めた。

「旅の途中で、たまたまこの神社の話を聞いたんだ。願い事を叶えてくれるって。だから少しの間、ここに滞在させてもらえないかと思ってね。」

里乃は困惑したが、神社は村の人々の寄付で成り立っており、村の外から訪れる人を断るわけにもいかなかった。

「少しの間だけなら。」

そう答えると、藤吉は心からの感謝の言葉を述べた。

その日から、藤吉は神社の手伝いをするようになった。薪を割り、掃除をし、老朽化した祠の修理まで手を貸してくれる。最初は不安だった里乃も、次第に彼の人柄に心を開いていった。

ある夜、里乃は藤吉に尋ねた。

「藤吉さんの願い事って何なんですか？」

藤吉はしばらく黙り込んでいたが、やがてぽつりと言った。

「病で先立った妻の魂が、安らかでありますように。」

その言葉に、里乃は胸が締め付けられるような思いがした。

それから数日後、小春日和の穏やかな朝が訪れた。風も柔らかく、空は澄み渡り、里乃は神社の境内に漂う静けさを感じていた。

藤吉が荷物をまとめ、旅立つ日だった。

「短い間だったけど、助かったよ。ここにいる間に、自分の心も少しだけ救われた気がする。」

藤吉は里乃にそう言って微笑んだ。その笑顔には、以前よりも明るさが増しているように見えた。

「気を付けてくださいね。またどこかでお会いできたら。」

里乃は彼を見送りながら、どこか名残惜しさを覚えた。しかし、藤吉の背中が山道に消えていく頃、彼の願いが神社に宿る神によって届いているような気がしていた。

それからしばらくして、村の神社にはまた旅人が訪れるようになった。誰かがこの場所を「願いを叶える神社」として語り継いだのだろう。

里乃は縁側に座り、暖かな日差しを浴びながら思った。

「きっと藤吉さんの願いも叶えられたはず。」

木々が風に揺れ、小春の陽光が境内に降り注ぐ。その光景は、まるで神が里乃の思いに応えて微笑んでいるかのようだった。