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山の芋うなぎになる
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「山の芋うなぎになる」
ある日の午後、古びた寺の庫裏(くり)で、住職の高山は弟子たちと談笑していた。窓の外には山々が連なり、澄んだ空気の中で鳥のさえずりが聞こえていた。
「世の中、何が起こるか分からんものよ。やまのいもうなぎになる、とはよく言ったものだ」
住職が静かに茶をすする。弟子の一人、若い僧侶の春海(しゅんかい)が興味を示して尋ねた。
「師匠、それはどういう意味ですか?山の芋とうなぎがどう関係あるのでしょうか?」
住職は目を細め、笑いながら話し始めた。
昔、この寺には厳格な僧侶たちが集まっていた。殺生戒を守り、どんなに空腹でも生き物を殺すことはなかった。しかし時代が変わり、山深い村の生活は次第に厳しくなっていった。作物の不作や冬の寒さに見舞われ、寺も飢えに苦しむようになった。
ある年の冬、凍えるような寒さの中で、村人が寺に一匹のうなぎを差し出した。
「どうか、これで住職様を助けてください。この村に欠かせない方ですから」
うなぎを差し出した老人は真剣な顔をしていたが、僧たちは困惑した。殺生戒を破るわけにはいかない。しかし、このままでは住職が飢え死にしてしまうかもしれない。
「これは……山の芋だ」
住職は深い皺の刻まれた顔で静かに言った。そして、その場にいた誰もが何も言わず、その言葉を受け入れた。
「芋ならば殺生にはならん」
そうしてうなぎを山の芋として調理し、住職に供した。その味は濃厚で温かく、体の芯まで染み渡った。
春海は驚きながら聞いていた。
「師匠、それでは戒を破ったのでは?」
住職はゆっくりと首を振った。
「戒とは、人を救うために守るものだ。厳格であれど、それが誰かを死なせることになるなら、ただの形骸(けいがい)だ」
春海はその言葉に納得することができず、さらに問い詰めた。
「でも、嘘をつくのは良くないのではありませんか?」
住職は春海の目をまっすぐ見つめた。
「世の中には、嘘で救える命もある。だが、それが許されるのは、嘘をついた者が責任を背負い続ける覚悟がある場合だけだ」
その夜、春海は寺の庭で月を見上げながら考えていた。すると、小さな影が彼の目に入った。池のそばで、うなぎが悠々と泳いでいる。春海はふと、そのうなぎが山の芋に見えるような錯覚を覚えた。
「この世の中では、何が起こるか分からない……」
住職の言葉が頭をよぎる。その時、春海は初めて、言葉の裏にある深い意味を少しだけ理解した気がした。戒律は重要だ。しかし、それを守ることが目的ではなく、人を救うための手段であるということを。
翌日、住職は春海に向かって微笑みながら言った。
「さあ、今日は村人たちと一緒に田畑の手伝いをしよう。貧しい中でも笑顔を忘れない彼らに、私たちも支えられているのだからな」
春海は深く頷いた。山の芋もうなぎも、ただの言葉に過ぎない。大切なのは、その言葉の裏に込められた思いだと、彼はようやく気づいたのだった。
こうして、山深い寺では再び穏やかな日々が流れ始めた。山の芋とうなぎの話は、後に語り草となり、「やまのいもうなぎになる」という言葉は、「何が起こるか分からない」人生の深遠な教訓として広がっていった。
ある日の午後、古びた寺の庫裏(くり)で、住職の高山は弟子たちと談笑していた。窓の外には山々が連なり、澄んだ空気の中で鳥のさえずりが聞こえていた。
「世の中、何が起こるか分からんものよ。やまのいもうなぎになる、とはよく言ったものだ」
住職が静かに茶をすする。弟子の一人、若い僧侶の春海(しゅんかい)が興味を示して尋ねた。
「師匠、それはどういう意味ですか?山の芋とうなぎがどう関係あるのでしょうか?」
住職は目を細め、笑いながら話し始めた。
昔、この寺には厳格な僧侶たちが集まっていた。殺生戒を守り、どんなに空腹でも生き物を殺すことはなかった。しかし時代が変わり、山深い村の生活は次第に厳しくなっていった。作物の不作や冬の寒さに見舞われ、寺も飢えに苦しむようになった。
ある年の冬、凍えるような寒さの中で、村人が寺に一匹のうなぎを差し出した。
「どうか、これで住職様を助けてください。この村に欠かせない方ですから」
うなぎを差し出した老人は真剣な顔をしていたが、僧たちは困惑した。殺生戒を破るわけにはいかない。しかし、このままでは住職が飢え死にしてしまうかもしれない。
「これは……山の芋だ」
住職は深い皺の刻まれた顔で静かに言った。そして、その場にいた誰もが何も言わず、その言葉を受け入れた。
「芋ならば殺生にはならん」
そうしてうなぎを山の芋として調理し、住職に供した。その味は濃厚で温かく、体の芯まで染み渡った。
春海は驚きながら聞いていた。
「師匠、それでは戒を破ったのでは?」
住職はゆっくりと首を振った。
「戒とは、人を救うために守るものだ。厳格であれど、それが誰かを死なせることになるなら、ただの形骸(けいがい)だ」
春海はその言葉に納得することができず、さらに問い詰めた。
「でも、嘘をつくのは良くないのではありませんか?」
住職は春海の目をまっすぐ見つめた。
「世の中には、嘘で救える命もある。だが、それが許されるのは、嘘をついた者が責任を背負い続ける覚悟がある場合だけだ」
その夜、春海は寺の庭で月を見上げながら考えていた。すると、小さな影が彼の目に入った。池のそばで、うなぎが悠々と泳いでいる。春海はふと、そのうなぎが山の芋に見えるような錯覚を覚えた。
「この世の中では、何が起こるか分からない……」
住職の言葉が頭をよぎる。その時、春海は初めて、言葉の裏にある深い意味を少しだけ理解した気がした。戒律は重要だ。しかし、それを守ることが目的ではなく、人を救うための手段であるということを。
翌日、住職は春海に向かって微笑みながら言った。
「さあ、今日は村人たちと一緒に田畑の手伝いをしよう。貧しい中でも笑顔を忘れない彼らに、私たちも支えられているのだからな」
春海は深く頷いた。山の芋もうなぎも、ただの言葉に過ぎない。大切なのは、その言葉の裏に込められた思いだと、彼はようやく気づいたのだった。
こうして、山深い寺では再び穏やかな日々が流れ始めた。山の芋とうなぎの話は、後に語り草となり、「やまのいもうなぎになる」という言葉は、「何が起こるか分からない」人生の深遠な教訓として広がっていった。
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参考資料
ギリシャ神話
プロメテウス
ヘラクレス
オルフェウス
パンドラ
オデュッセウス
イリアス
オデュッセイア
海精:ネーレーイス/ネーレーイデス(複数) Nereis, Nereides
水精:ナーイアス/ナーイアデス(複数) Naias, Naiades[1]
木精:ドリュアス/ドリュアデス(複数) Dryas, Dryades[1]
山精:オレイアス/オレイアデス(複数) Oread, Oreades
森精:アルセイス/アルセイデス(複数) Alseid, Alseides
谷精:ナパイアー/ナパイアイ(複数) Napaea, Napaeae[1]
冥精:ランパス/ランパデス(複数) Lampas, Lampades

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