春秋花壇

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山うなぎの秘湯

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「山うなぎの秘湯」

山深い村に、伝説の生き物「山うなぎ」が棲むという噂があった。村人たちはその姿を目にした者がほとんどいないため、ただの作り話だと言う者もいれば、山神の使いだと信じる者もいた。

しかし、その伝説はただの噂ではなかった。私は父の遺品を整理しているとき、古びた地図を見つけた。地図には赤いインクで「山うなぎの泉」と書かれていた。泉の場所は、父が幼い頃に暮らしていた村の山中に記されていた。

「父がこんなものを残していたなんて……」

私は好奇心に駆られ、地図を手にその泉を目指すことにした。

父が育ったという山村は、いまや過疎化が進み、民家もまばらだった。バスを降りると、村に唯一残る食堂で昼食を取りながら、店主に地図を見せた。

「この泉に行きたいんですが……知ってますか?」

店主の老人は地図を一瞥し、顔をしかめた。
「その場所は行かないほうがいいよ。山うなぎの伝説が残る場所だが、あそこに行った者は二度と戻らないと言われているんだ」

それでも私は諦めなかった。父が残した地図には、なぜか泉への道筋が詳しく書き込まれており、まるで私を導くような気がしてならなかった。

翌朝、私は村の入り口にある細い山道を登り始めた。地図を頼りに足を進めると、森の中にぽつんと一つだけ朽ちかけた鳥居が立っていた。その奥に続く道は、草木が生い茂り、すでに人が通らなくなって久しい様子だった。

鳥居をくぐると、あたりの空気が一変した。しんと静まり返り、風の音も聞こえなくなる。山道を進むうちに、ふと耳元で何かがささやくような音が聞こえた気がした。

「……泉に来るのは久しい……」

私は思わず振り返ったが、誰もいない。ただの風の音だろうと思い直し、さらに進むと、道の先にぽっかりと開けた場所が現れた。そこには透明な湧き水がたたえられた泉があった。

泉のそばに腰を下ろし、私は持ってきた水筒に泉の水を汲んだ。その瞬間、背後で大きな水音がした。振り向くと、泉の中から巨大な生き物が現れた。

それは体長3メートルはあろうかという巨大なうなぎだった。光沢のある黒い体が太陽の光を反射し、その目はどこか人間のように知性を感じさせた。

「ようやく、来たか」

信じられないことに、そのうなぎが人間の言葉を話したのだ。私は驚きのあまり声を出すこともできなかった。

「お前の父親は、かつてここを訪れた。そして私と約束を交わした」

山うなぎは低い声で語り始めた。その話によると、父は若い頃、この泉で山うなぎに出会い、命を助けられたのだという。その代わり、父は「再び人間がここを訪れる日が来たら、自分の子供をこの地に導く」という約束を交わしたのだという。

「なぜ父はそんな約束を?」

「それは私が人間に必要とされる日が来ると知っていたからだ」

山うなぎの体から放たれる光が徐々に強くなり、泉の水面に映る私の姿が歪み始めた。

気がつくと、私は父が若かりし頃の山村に立っていた。家々には活気があり、村人たちが集まって何かを祝っている様子だった。

「これが……父が見た村の姿……?」

しかし、目の前で笑っていた人々は次第に影のように薄れていき、村は再び廃れていった。

現実に戻ると、山うなぎが静かに泉の中へ戻っていくところだった。

「人間よ、自然と共に生きよ。それがお前たちに課せられた試練だ」

山うなぎの声が消えると、泉の水面には静寂だけが残った。

私は父がこの地を訪れ、何を感じたのかを思いながら、山を下りた。あの伝説が本当だったのか、それとも夢だったのか――いまだに分からない。けれど、私の心には確かに、父と山うなぎが刻んだ何かが残っていた。

そしてその思いを胸に、私は村で出会った店主に一言だけ伝えた。

「泉には、山の声がありました」

老人はただ静かに頷き、遠い空を見上げた。




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