春秋花壇

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霜月

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霜月

十一月に入ると、霜が降り始める朝が増えた。志保は、庭の草木が凍りついたように冷たく光る様子を眺めながら、霜月の冷たさが心に沁み入るのを感じていた。薄く降り積もった霜が、陽の光でゆっくり溶けていくとき、その一瞬にだけ草花が宝石のように輝く。けれど、その美しさを感じながらも、彼女の心はどこかで空虚な気持ちを抱えていた。

志保は四十年、母の介護を続けていた。最初は希望を持って始めた介護も、月日が経つにつれて身体に負担がかかり、心の中にも焦りや疲れが積もり重なっていった。いつの間にか自分の生活は母の生活と一体化していて、自分の時間は母の世話に追われてほとんどなかった。そして、ふとした瞬間にその生活に虚しさを感じてしまうのだ。

十一月、霜が降りる季節に、志保はまた母の体調が少しずつ悪化していることを感じ取っていた。母はもともと体が弱く、寒さに耐えるのが難しかった。長年共に暮らしているうちに、母の小さな変化にも敏感に気付けるようになっていた。ここ数日、母は微かに咳をし、疲れやすそうにしていた。志保は母が少しでも快適に過ごせるように、暖房器具を点け、温かい飲み物を用意してそばに寄り添った。

ある日、志保は母の隣でそっと声をかけた。「お母さん、霜が降りて、庭が真っ白になっているわ。きれいよ、一緒に見に行かない?」

母は微笑みながらも、弱々しく頭を横に振った。「外は寒いから、今日は遠慮しておくわ。昔は好きだったんだけどね、庭に出るのも億劫になっちゃったわね」

志保は母の言葉に頷きながら、心の奥で静かに痛みを感じていた。自分が成長する一方で、母が少しずつ老いていくのを実感するたびに、霜が降りた草木のように冷たく心が締め付けられるのだった。

志保は部屋に戻り、棚に飾られた古い写真を手に取った。そこには、若いころの母と志保が、霜が降りた庭で笑い合う姿が写っていた。母はそのころ、まだ元気だった。二人で季節の移ろいを楽しむ時間は志保にとって宝物だったが、今はその記憶がかえって胸を締め付ける。写真の中の母と今の母を比べると、何もかもが変わってしまったように思えた。

ある晩、志保は布団に入りながら、ふと「いつか、母がいなくなってしまう日が来る」ということを意識してしまった。彼女はその現実を考えないようにしていたが、十一月の冷たい風がその思いを掻き立てたのだ。枕に顔を埋め、静かに涙を流しながら、志保は母が元気だったころのことを思い返していた。母は、彼女にとって大切な存在だった。けれど、同時に、その存在が重くのしかかっていたことも事実だった。

次の日、志保は気持ちを奮い立たせ、母のために庭から秋の小枝や落ち葉を拾ってきて部屋に飾った。赤く色づいたモミジや黄色のカエデ、そして霜が薄くかかったカラスウリの実。そのひとつひとつが母との時間を象徴しているかのように思えた。母はその飾りを見つめ、穏やかに微笑んだ。「こんなにきれいなものを見ていると、なんだか生きていて良かったと思えるわ」

その言葉に、志保は少しだけ救われたような気持ちになった。母が最後まで生きることに意味を見出してくれるのなら、自分もその時間を支える意味があるのかもしれない。介護は決して楽なものではないが、今この瞬間、母が生きていることに意味があるなら、志保もまた一日一日を大切に生きていこうと思えた。

霜月の朝、志保は庭に立って深呼吸をした。冷たい空気が体を刺すように感じたが、その中に清らかなものも感じ取れた。母の介護をしながら過ごす日々は確かに重かったが、それでもその一瞬一瞬が彼女にとっての宝物になっていることに気づいたのだ。






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