春秋花壇

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小雨の音

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第五十三候 霜降 次候

霎時施(こさめときどきふる)
10月28~11月1日

小雨がパラパラと降る

晩秋の雨が冬への歩みを進める
「八入の雨」雨が降るたびに雨が色濃く染めていく

「ひと雨一度」雨が降るたびに
気温が一度下がっていく

小雨の音

10月の終わり、霜降を迎えた頃、晩秋の空は薄暗く、気づけば小雨がパラパラと降り始めていた。この時期の雨は、冷たさを含んでいて、降るたびに少しずつ気温を下げ、季節の歩みを冬へと進めていく。その日は朝から「ひと雨一度」とでもいうように冷え込みが強く、厚手の上着が手放せなくなっていた。

健一は、そんな小雨の中を一人で歩いていた。故郷の山道は湿り気を帯び、足元に敷き詰められた落ち葉がしっとりと濡れている。久しぶりに戻ってきた故郷の山道で、母の家に向かって歩を進めているのだが、冷たい小雨が少しずつ体温を奪っていくのを感じた。

彼が故郷に戻ってくるのは数年ぶりのことだった。仕事が忙しく、家を離れて東京で一人暮らしをしているうちに、ふるさとの家族との距離はいつしか遠くなってしまった。けれども、最近母の体調が優れず、時折弱々しい声で電話をかけてくるようになり、気にかけていた。母がひとりで暮らす家は、町から少し離れた山里の中にひっそりと佇んでいる。秋も終わりに差し掛かり、冬の気配が濃くなったこの山道は、健一にとってもどこか懐かしく、幼少期の記憶が蘇るようだった。

家に着くと、雨に濡れた体を震わせながら玄関の戸を開けた。奥から微かに聞こえてくる母の咳払いの音が、ひっそりとした家の中に響く。母はこたつに潜り込んで、古い毛布に包まれていた。

「母さん、元気そうじゃないか」と健一はできるだけ明るい声で言ったが、母の顔には年を取った疲れがにじみ出ていた。

「健一かい、遠いところをありがとうね」と、母はか細い声で笑った。

健一は帰省する度に母が少しずつ老いていくのを目の当たりにし、胸の奥に淡い悲しみが広がるのを感じていた。しかし、母はそんな健一の表情に気づかないふりをし、いつも通りの穏やかな笑顔を見せてくれる。

夕食の準備を手伝いながら、母と他愛もない話を交わした。鍋を火にかけると、台所の窓越しに霧が立ち込め、雨の音が聞こえてきた。「八入の雨」という言葉を思い出した健一は、秋が深まるごとに雨が色濃く染まり、やがて冬の気配をまとっていくことに心を留める。母は夕食の手を止め、ふと外を見つめながら、ぽつりとつぶやいた。

「こんな小雨の日には、あなたが小さかった頃をよく思い出すよ」

母の話に耳を傾けると、幼い頃の健一の姿が母の頭に浮かぶ。小さな長靴を履き、小雨の中で手を広げて走り回る健一の笑顔が、今も彼女の心の中で生きているのだ。

その夜、母と並んでこたつに入りながら、健一は遠い日の思い出話を楽しんだ。外は相変わらず小雨が降り続き、夜の静けさが雨の音に溶け込んでいく。まるで、ふたりだけが静かな秋の夜に包まれているようだった。

翌朝、目を覚ますと、冷えた空気が部屋に漂っていた。小雨は夜通し降り続き、庭の苔や石がしっとりと湿り、まるで雨が降るたびに濃く染まる「八入の雨」が風景に影を落としているかのようだった。母はまだ寝ているようで、布団の中で小さな寝息を立てている。健一は静かに部屋を抜け出し、庭に出た。

濡れた庭には霧が漂い、木々の葉が雨粒をまとってきらめいている。彼は雨の匂いを吸い込みながら、しばし風景に見入っていた。小さな苔むした石には、細かな露が滴り、母が手入れしていた庭が一層鮮やかに浮かび上がって見えた。

「ひと雨一度」と言うように、冷たさが増した晩秋の空気は、健一の心をひんやりとした静けさで満たしていく。ふと、雨が少し強まる音が聞こえ、空を見上げると、また小雨が降り始めていた。

その後、家に戻ると、母が朝食を用意していた。彼女は健一に見せるように小さな漬物を皿に並べ、少し照れ臭そうに笑った。「あなたの好きだったものを用意したんだけどね、ちょっと味が薄いかもしれないよ」

健一は微笑みながら「いや、これで十分だよ」と応じた。母の小さな振る舞い一つひとつが、健一にとっては何よりも大切なものだった。その朝、母が作った温かな味噌汁の湯気が、冷えた心をじんわりと温めてくれる。

夕方、健一は再び東京へ戻ることになった。母は玄関先まで見送りに出てきたが、その背中は少し小さく、どこか心もとない様子が見えた。雨は止み、冷たい風が吹き始め、彼の体に秋の終わりを知らせているかのようだった。

「また、来るよ」と健一が声をかけると、母は静かに頷いた。

「そうかい、それまで元気でいるよ」

家を出るとき、ふと振り返ると、母が静かに手を振っていた。健一は再び前を向き、冷えた空気に包まれながら山道を歩いた。歩きながら彼は、毎年こうして季節がめぐり、やがて母との時間も限られていくことを感じていた。

帰り道、小雨が再び降り始めた。どこか温かみのある雨音が、晩秋の山里の空気に溶け込み、健一の胸に深く染み入っていく。








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