春秋花壇

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春秋花壇

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『春秋花壇』

花壇は季節ごとに彩りを変える。春には咲き誇る花々が、秋には穏やかに枯れゆく姿を見せる。その小さな庭に、季節が織り成す物語があった。

***

彼女の名前は藺(い)という。春と秋を象徴するような名前だ。藺は幼いころから祖母に教えられ、庭仕事を好んだ。祖母の家の裏庭には、四季折々の花が植えられ、藺はその花々と共に成長してきた。祖母はよく言ったものだ。

「春は新しい命の息吹、秋はその終わりを優しく受け入れる時期。花壇は私たちの人生そのものだよ」

藺はその言葉の意味を考えながら、いつも季節の変わり目になると庭に出て、手入れをしていた。

高校生になった藺は勉強に追われ、庭に出る時間が減った。家族との時間も減り、次第に祖母の言葉が遠い昔のもののように感じられることもあった。大学進学が決まり、藺は都会へ引っ越すことになった。出発の日、祖母がそっと言った。

「藺、春と秋を忘れないでおくれ。どちらも美しいけれど、両方があってこそ花壇は生きるものだから」

その言葉は藺の心の奥底にしっかりと刻まれた。

***

都会の生活は忙しく、慌ただしい日々が続いた。藺は大学生活に夢中になり、新しい友人や学びに囲まれ、祖母の家や庭のことは次第に忘れ去られていった。講義、アルバイト、そして友人たちとの集まり。何もかもが新鮮で、藺はその渦の中に身を委ねた。

しかし、ある日突然、母親からの電話が藺の生活を大きく揺さぶった。

「おばあちゃんが倒れたの」

母の声は震えていた。祖母が心筋梗塞で倒れたと聞かされた藺は、大学を休み、急いで故郷へ戻った。久しぶりに戻った家は、どこか寒々しく、以前の温もりを失っていた。藺は祖母の病室へと向かい、その姿を見た瞬間、涙が溢れ出た。

「おばあちゃん…」

祖母は目を閉じたまま、弱々しく呼吸をしていた。その姿は、藺が記憶している祖母の強さとは全く異なっていた。

病室で一人、藺は座って考えた。なぜ自分はこんなにも庭のことを忘れてしまったのか。祖母の言葉の意味を忘れてしまったのか。都会での生活に夢中になり、自分のルーツを置き去りにしていたことに気づいたのだ。

***

祖母が亡くなってから、藺は一週間ほど実家に滞在した。家族が集まり、葬儀が行われた後、藺は久しぶりに祖母の庭を訪れた。そこにはかつて見慣れた花壇があったが、手入れが行き届いていないため、雑草が伸び放題だった。

「こんなにも…」

藺は少し驚き、庭に立ち尽くした。祖母が育てていた花々は、そのほとんどが枯れ果てていた。しかし、よく見ると、春に咲くはずの芽が少しずつ顔を出し始めていた。秋の訪れと共に、庭は静かに次の春を待っているのだ。

藺は手袋をはめ、ゆっくりと花壇の手入れを始めた。雑草を抜き、土を耕し、祖母がよく使っていた道具で、少しずつ庭を整えていく。次第に、藺は祖母の言葉を思い出していた。

「春と秋、どちらも美しい。どちらも受け入れることが大切なんだ」

花壇の中で、春に芽吹く花と秋に枯れゆく花、その両方が共存していることを藺は感じた。まるで、人生の明と暗が織り成すように。明るい時期だけではなく、暗い時期もまた意味があるのだ。

ふと、藺は祖母の温かな笑顔が脳裏に浮かんだ。祖母は常に、自分の心のバランスを取り、花壇を通じてその大切さを教えてくれていたのだ。

***

藺はその後、大学に戻ったが、祖母の家には定期的に足を運び、庭の手入れを続けた。都会での生活は依然として忙しかったが、祖母の花壇は彼女にとって心の拠り所になった。

季節が巡り、春が訪れるたびに花が咲き、秋が来ると静かに枯れゆく。藺はそのサイクルを見守りながら、自分の心もまた、春と秋のバランスを保つことを学んでいった。

「明るさと暗さ、どちらも必要なんだ」

藺は祖母の教えを胸に、今日も庭で花々に水をやる。春秋花壇は、今も変わらず、静かに彼女の心に寄り添っていた。






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