春秋花壇

秋分の日の約束

秋分の日の約束

秋分の日、空は高く澄んで、冷たい風が田んぼの稲穂を揺らしていた。季節は確かに夏から秋へと移り変わり、木々の葉が少しずつ色づき始めている。だが、そんな自然の変化に心を奪われる余裕は、今日の僕にはなかった。

「また、秋分の日にね」

そう約束して、彼女と別れてから、もう一年が経つ。僕たちは、まだ恋人同士だったわけではない。けれど、心の中では何か特別な感情が芽生えていた。あの日、彼女は秋分の日に再び会おうと約束し、僕もそれに応えた。

だが、彼女はいなくなってしまった。理由もわからず、突然と姿を消したのだ。彼女の家に何度も足を運んだが、家族は誰も彼女がどこに行ったのか教えてくれなかった。まるで存在が消えたかのようだった。

その日から、僕の中で時が止まったようだった。学校へ行き、友達と話しても、何かを忘れているような気がしてならなかった。どこかで彼女が現れて、いつもの笑顔で「久しぶり」と声をかけてくれるのではないか、そんな期待を抱いていた。

「秋分の日に、また会おう」

その言葉が頭から離れなかった。約束を守りたい、彼女がどこにいようと、その思いだけで、僕は毎日を過ごしていた。

そして今日、約束の秋分の日がやってきた。彼女と最後に会った場所、町外れの小さな神社へ向かう道を、僕は一人で歩いていた。稲穂の香りが風に乗って漂い、周囲は静寂に包まれている。彼女は本当に来るのだろうか？それとも、もう二度と会えないのだろうか？不安と期待が交錯する。

神社に着くと、夕方の陽が境内を柔らかく照らしていた。参道の石畳は、秋の陽に輝いて金色に光っている。僕は息を呑み、その場所に立ち止まった。

「やあ、久しぶり」

背後から聞き覚えのある声がした。振り返ると、そこには確かに彼女が立っていた。白いワンピースを着て、まるで去年と同じように微笑んでいる。僕の心臓が一瞬止まり、息をするのも忘れてしまった。

「どうして…いなくなったんだ？」

僕は、口から出た言葉に驚いた。彼女がそこにいるという事実を受け入れる前に、消えてしまった理由を知りたかったのだ。彼女は少し困ったように笑い、境内の大きな木の下に歩いていく。

「ごめんね、急にいなくなって。でも、どうしてもやらなきゃいけないことがあったの」

「何を…？」

僕は彼女の後を追いかけ、問い詰めた。だが、彼女はその質問に答えず、ただ空を見上げた。

「秋分の日って、不思議な日だよね。昼と夜がちょうど同じ長さになる日。でも、それだけじゃなくて、何か特別な力がある気がする。だから、今日ここに来たの」

僕も彼女と一緒に空を見上げた。夕暮れの空は、美しく赤く染まっていた。彼女が続ける。

「この日だけは、どんなに遠く離れていても、再会できるって信じてた。だから、約束を守りたかったの」

「遠くって…どこに行ってたんだよ？」

僕は彼女の言葉の意味が理解できなかった。彼女は少し沈黙し、ふと僕を見つめた。

「遠い場所。説明は難しいけど、でも、ちゃんと今こうして会えたから、それでいいじゃない？」

その目は優しさに満ちていて、どこか切なさも感じた。僕はそれ以上、彼女を問い詰めることができなかった。彼女がここにいる。それだけで十分だと思った。

僕たちは、しばらくその場で話をした。昔話や、お互いに見てきた風景について。彼女が消えていた一年間のことは、あまり深く聞かなかった。彼女も話さなかった。でも、確かに僕たちは一緒に過ごしていた。

やがて、陽が沈みかけ、境内に影が広がり始めた。僕たちの時間も終わりに近づいているのを感じた。

「また、秋分の日に会える？」

僕は最後にそう聞いた。彼女は少し考えてから、微笑んで答えた。

「うん、また秋分の日に」

そして彼女は、ふわりと消えてしまった。まるで最初からそこにいなかったかのように。

風が吹き、木々がざわめく音が耳に残る。僕は一人、境内に立ち尽くした。彼女が再び消えた理由はわからない。けれど、約束は守られた。そして、来年の秋分の日に、また会えるのだろうか。

僕は静かに、神社を後にした。彼女と交わした再会の約束を胸に、来年の秋分の日を待つことを心に決めた。