春秋花壇

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稲刈り

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「稲刈り」

秋の空はどこまでも青く澄み渡っていた。田んぼの周りに並ぶ黄金色の稲穂が風に揺れ、稲刈りの時期が来たことを知らせていた。私は、祖父の古びた軽トラックに乗りながら、長靴を履いた足を踏みしめ、これから始まる作業に向けて心を落ち着かせた。

「今日で終わらせないと、天気が悪くなるからな。がんばろう」

父が助手席から声をかけてきた。年に一度の稲刈りは、私たち家族にとって大事な行事だった。都会での生活に慣れてしまった私にとって、田んぼに戻ってのこの作業はどこか遠い世界の出来事のように感じていた。しかし、幼い頃から何度も手伝ってきた光景には、懐かしさとともに不思議な安心感があった。

「わかった、頑張るよ」

私は軽く返事をし、トラックから飛び降りた。田んぼに足を踏み入れると、土の匂いと湿り気が鼻を刺激し、あの独特の感覚がよみがえってきた。家族全員が総出で作業を始め、父は鎌を手に稲を刈り取っていく。刈り取られた稲は束にして干される。これが祖父の代から受け継がれてきた伝統的な稲刈りの方法だった。

「手でやるなんて、今どき少ないよな。機械使った方が楽なのに」

私は、汗を拭きながら父に問いかけた。田んぼの横には新しいコンバインが停められていたが、父はなぜかそれを使わず、手作業を続けている。

「そりゃあ、そうだ。でもな、手でやると、この稲一つ一つがどれだけ大事か、よく分かるんだよ」

父はそう言って、黙々と作業を続けた。その背中には、長年の労働で刻まれたしわと、どこか寂しさが漂っていた。私もそれ以上何も言わず、鎌を手に取って稲を刈り始めた。しばらくすると、体が自然に動くようになり、無心で作業に集中することができた。

稲刈りの音と風の音だけが響く。ふと、母が軽いお弁当を運んできた。彼女は昼食の時間が来たことを知らせるため、田んぼの端で手を振っている。作業を一旦止め、全員が土手に腰を下ろした。おにぎりを頬張りながら、父がぼそりとつぶやく。

「お前が小さかった頃は、もっと家族みんなで集まってやってたんだ。今じゃお前と俺と、母さんだけだな」

父の声には、少し寂しさがにじんでいた。確かに、昔は親戚たちも集まり、田んぼで賑やかに稲刈りをしていた。それが今では、機械化が進んだこともあり、手作業で稲刈りをする家族は少なくなってしまった。兄弟たちはそれぞれ都会に出て、田んぼの手伝いにはもう来なくなっていた。

「でも、こうしてまだ手伝ってるだけでも、俺は誇りに思うよ」

私は軽く笑いながら答えた。都会での忙しい生活を送っている自分にとって、稲刈りは一種のリセットのようなものだ。自然と向き合い、手を動かし、汗をかくことで、日常のストレスや悩みが少しずつ消えていく感覚があった。

「そうか……お前も忙しいのに、ありがとな」

父は少し照れくさそうに言い、再び鎌を手に取った。

午後の作業も続いた。日が傾き始めるころ、空は朱色に染まり、稲穂の黄金色とのコントラストが美しく映えていた。作業は順調に進み、田んぼの一角がきれいに刈り取られた。

「よし、今日のところはこれで終わりだ」

父が満足げに言い、汗を拭いながら立ち上がった。田んぼの端に立ち、夕日を背にして広がる風景を眺めたその瞬間、祖父の姿が浮かんだ。彼もこうして毎年、秋になるとこの田んぼで稲刈りをしていたのだ。

「じいちゃんも、喜んでるかな」

私はぽつりとつぶやくと、父は軽く頷いた。

「そうだな。あいつも、俺たちがこうして続けてることを見て、安心してるだろう」

ふたりはしばらく無言で田んぼを眺めていた。風が稲を揺らし、夕暮れの光がその表面を優しく照らしている。

田んぼに沈む夕日を見つめながら、私はふと思った。この田んぼと共に育った家族の歴史が、こうして続いていることの尊さ。都会での生活とは違う、この場所でしか味わえない絆と温もりが、私の胸を静かに満たしていく。

「また来年も、手伝いに来るよ」

私の言葉に、父は微笑んで答えた。

「そうか、じゃあ、また頼むな」

その一言が、次の秋にもこの風景を見られることを確信させてくれた。






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