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ハーベストムーン

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「ハーベストムーン」

9月の夕暮れ、里山の空にオレンジ色の月が浮かび上がる。今日は「ハーベストムーン」、秋の収穫祭の夜だ。集落の人々は夕方から神社に集まり、豊作を感謝する祈りを捧げる。子どもたちは祭囃子に合わせて走り回り、大人たちは提灯の灯りの下で笑顔を交わし合う。月明かりが照らす里山の風景は、まるで絵本のように美しい。

村の片隅に住む彩音(あやね)は、この日が来るのを楽しみにしていた。しかし、彼女は今年も祭りに参加せず、月を見上げながら自宅の縁側で一人静かに過ごしていた。彩音はここ数年、祭りの賑やかさを遠くから眺めるだけにしている。

彩音の夫である陽介(ようすけ)は二年前に亡くなった。彼は祭りの準備を手伝いながら、収穫の喜びを誰よりも大切にしていた。二人で過ごした祭りの夜、彼の笑顔を思い出すたびに、彩音の胸にはぽっかりとした寂しさが広がる。陽介がいた頃、二人で縁側からハーベストムーンを眺めた夜のことが、彩音の心に深く刻まれている。

「今年もきれいな月だね、陽介さん。」

彩音は小さく呟きながら、月に向かって杯を掲げた。お酒は二人で好きだった地元の酒蔵のものだ。かすかに漂う酒の香りに、陽介の笑顔が重なった気がして、彩音の目には涙が滲んだ。二人で語り合い、笑い合った日々はもう戻らないけれど、彩音にとって月が見守るこの夜は、変わらない思い出の中で一緒にいるような気がするのだ。

ふと、庭先から小さな音が聞こえた。足音だろうか。彩音が視線を向けると、近所に住む小学三年生の杏奈(あんな)がひょっこり顔を出していた。杏奈は彩音にとって、まるで孫のように可愛い存在で、彼女もまた彩音のことを親しく思っているようだった。

「こんばんは、彩音さん。」杏奈は少し恥ずかしそうに笑いながら近づいてきた。「お祭り、来ないの?」

「こんばんは、杏奈ちゃん。ごめんね、今日はここから月を見ているの。杏奈ちゃんは楽しんでるの?」

杏奈はうんうんと何度も頷いた。「でも、おばあちゃんが彩音さんにこれを届けてって。お団子も一緒に。」そう言って、小さな包みを差し出した。包みの中には、祭りの団子と手作りの栗の甘露煮が入っていた。彩音の目が柔らかく細まり、杏奈の心遣いに感謝の気持ちがあふれた。

「ありがとうね、杏奈ちゃん。おばあちゃんにもありがとうって伝えてね。」

「うん、でも彩音さんも一緒に来たらいいのに。みんな彩音さんのこと待ってるよ。」

その言葉に彩音は少し驚いた。陽介がいなくなってから、人付き合いを避けていたつもりだったが、村の人々は変わらず自分を気にかけてくれていたのだ。彩音の胸に温かなものが広がり、少しずつ寂しさが和らいでいくような気がした。

「ありがとう、杏奈ちゃん。でもね、私はここから月を見ているのが好きなの。いつも陽介さんと一緒に見てたから、ここが一番落ち着くの。」

杏奈は少し考え込んだ後、にっこりと笑った。「じゃあ、私もここで一緒に見ていい?」

「もちろんよ。せっかくだから、一緒にお団子食べましょう。」

彩音と杏奈は並んで座り、月を見上げながら団子を口に運んだ。杏奈の無邪気な話し声が、彩音の心を明るくしていく。陽介がいなくても、こうして誰かと月を眺める時間があることに、彩音は少しだけ救われる思いだった。

杏奈が言った。「月ってね、おじいちゃんが言うには、誰かを見守ってくれてるんだって。だからね、彩音さんも陽介さんも、月で繋がってるんだよ。」

その言葉に、彩音の胸はじんわりと温かくなった。陽介と過ごした日々はもう戻らないけれど、こうして月が見守る中で、彼の思い出はずっと彼女の中に生き続けている。杏奈の無邪気な言葉は、彩音にとってかけがえのない贈り物だった。

「そうだね、杏奈ちゃん。きっと陽介さんも見てるね、私たちを。」

彩音はそっと手を重ね、月に向かって微笑んだ。空には大きなハーベストムーンが輝き、収穫の喜びとともに新しい季節の訪れを告げている。彩音は、月を見上げながら自分の心が少しずつ癒されていくのを感じた。寂しさもあるけれど、それでも生きていくことの意味を月が教えてくれている気がした。

「ねえ、杏奈ちゃん、来年も一緒に月を見ようね。」

「うん、約束だよ!」

杏奈の笑顔に彩音は頷き、再び月を見上げた。月はどこまでも高く、まるで陽介の笑顔のように温かく、彼女の心を包み込んでいた。今夜のハーベストムーンは、彼女にとって新たな一歩を踏み出すきっかけとなったのだ。彩音は、これからも月とともに歩んでいく自分を想像しながら、穏やかな気持ちで夜を迎えた。









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