春秋花壇

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中秋の名月

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「中秋の名月」

9月17日、中秋の名月が夜空に輝くその日、健太はふと足を止めた。仕事からの帰り道、都会の喧騒に包まれながらも、空には満月が静かに浮かんでいた。月は、古い友人のように彼の心に語りかける。忙しさに追われる日々の中で、月を見る余裕など持てなかったが、今夜はなぜか目が離せなかった。

「今日は中秋の名月か…」健太は小さくつぶやいた。幼い頃、祖母と一緒に縁側で月を眺めた記憶がよみがえる。お団子とすすきを用意して、祖母が話してくれた月のうさぎの伝説や、秋の夜空の美しさ。あの温かい時間が、健太の心を穏やかにしてくれたのだ。

だが、今の健太は違う。毎日が仕事と家の往復で、心の余裕はどこにもない。彼の頭の中は明日のプレゼンのことや、上司の厳しい視線、そして自分のキャリアについての不安でいっぱいだった。月を見上げることなど、生活の中で必要なかったのかもしれない。

「少し、寄り道してみようか…」健太は急に思い立ち、公園のベンチに腰を下ろした。周囲は静かで、夜風がそよそよと吹き抜ける。街の喧騒から離れて、しばしの休息を求めたのだ。

月の光は、木々の間から柔らかく地面を照らしていた。公園の中には、家族連れやカップルがぽつりぽつりと月を眺めている姿が見えた。皆、それぞれの場所で月を楽しんでいるようだ。健太は、少しだけ孤独を感じながらも、その静けさに心が安らいでいくのを感じた。

ふと、彼の視界に小さな男の子が入った。彼は母親の手を引きながら、小さな声で「お月様、きれいだね」と話しかけている。その光景に、健太は自然と微笑んだ。自分もかつて、祖母にそんな言葉をかけたことがあったのを思い出したのだ。

男の子の母親は、やさしく微笑みながら「そうだね。今日は中秋の名月だよ。特別な日なんだ」と答えた。その言葉は、健太の心に響いた。何も特別なことはない日常の中で、ただ空を見上げて月を眺めるだけで、何かが変わる気がする。そんな瞬間を大切にできる余裕を、健太は失っていたのかもしれない。

彼はポケットからスマートフォンを取り出し、カメラを向けて月を撮ろうとした。しかし、画面に映った月はどこかぼやけていて、実際の美しさを捉えきれなかった。健太はため息をつきながら、スマートフォンをしまい、ただ目で月を見つめた。今の瞬間を、デジタルではなく、自分の心に刻みつけたかったのだ。

「写真じゃなくて、目で見るのが一番だな…」そう思いながら、健太はもう一度空を見上げた。月の光が彼の顔にやさしく降り注ぐ。仕事のことや、未来の不安が一瞬だけどこかに消えて、ただ今ここにある時間を楽しんでいる自分に気づいた。

月が見守る中、健太はふと考えた。祖母と過ごしたあの頃の自分は、もっとシンプルに幸せを感じていた。月を見て「きれいだな」と思える心。それが、大人になった今でもどこかに残っているのだと。大切なものは失っていない。健太はそう思えた。

「祖母も、今この月を見てるのかな…」健太はぼんやりとそう考えた。祖母は遠く離れた田舎で、今も月を眺めているのだろうか。きっと、あの頃と同じように、お団子とすすきを用意しているに違いない。健太は、久しぶりに祖母に電話をかけてみようと思った。

時計を見れば、もうすぐ9時を過ぎるところだった。健太はゆっくりと立ち上がり、帰り道を歩き始めた。月の光は彼の背中を照らし、道を明るくしてくれる。彼は足取り軽く家路につきながら、心の中で祖母に話しかけた。

「おばあちゃん、今日は月がきれいだよ。また一緒に見たいね。」

健太の胸の中に、ふんわりとした温かさが広がる。月が見守るこの夜、彼は少しだけ自分のペースを取り戻したような気がした。忙しい日々の中でも、こうしてふと足を止めてみる時間を大切にしていきたい。そんなささやかな決意を胸に、健太は静かな夜道を進んでいった。月は高く、変わらずに彼を見守っていた。









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