春秋花壇

春秋花壇

文字の大きさ
上 下
350 / 774

デュランタの花

しおりを挟む
デュランタの花

初夏の風が、青い空を切り裂いて、古い木造の家の軒先に咲くデュランタの花を揺らしていた。小さな紫色の花が房状に垂れ下がり、まるで夏の空を映し出したような美しい光景だった。

この家は、私が幼い頃から慣れ親しんだ場所。おばあちゃんの家で、夏になると必ず遊びに来ていた。広々とした庭には、デュランタの他に、ひまわりやコスモスなど、様々な花が咲き乱れていた。

おばあちゃんは植物が大好きで、庭の手入れをいつも楽しんでいた。特にデュランタの花は、おばあちゃんの宝物だった。

「この花はね、一生懸命咲くのよ。だから私も一生懸命生きなきゃね」

おばあちゃんはそう言いながら、優しくデュランタの花に水をやっていた。その言葉の意味を、幼い私はよく理解できなかったが、デュランタの花を見るたびに、おばあちゃんの笑顔が浮かぶようになった。

私が中学生になった頃、おばあちゃんは病気で入院し、しばらくしてこの世を去った。おばあちゃんのいない家は、どこか寂しかった。庭の手入れをする人もいなくなり、デュランタの花も元気をなくしていた。

高校に進学し、家を離れることになった。それでも、時々実家に帰り、デュランタの花を見に来た。花は、おばあちゃんの面影を私に思い出させてくれた。

大学を卒業し、仕事に追われる日々を送っていたある日、実家から電話がかかってきた。庭のデュランタが枯れてしまいそうだという。私はすぐに実家に戻り、デュランタの前に立った。

花はすっかり元気をなくし、葉は黄色く変色していた。私は、庭の手入れをする業者に頼もうかとも思ったが、どうしても自分で手入れをしたかった。

インターネットでデュランタの育て方を調べ、肥料を与えたり、枯れた枝を切ったりした。毎日、水をやりながら、おばあちゃんと話しかけるように、デュランタに語りかけた。

「おばあちゃん、元気にしてるかな?私は毎日頑張ってるよ。デュランタも頑張ってね」

そんな私の気持ちを汲み取ったのか、デュランタは少しずつ元気を回復し始めた。新しい芽が出て、小さな花を咲かせた。

その花を見たとき、私は大きな感動を覚えた。まるで、おばあちゃんの声が聞こえたような気がした。

「よくやったね」

おばあちゃんの笑顔が目に浮かぶ。私は、デュランタの花を通して、おばあちゃんと繋がっていることを感じることができた。

それからというもの、私はデュランタの花を育てるのが日課になった。デュランタの花は、私にとって、ただの花ではなく、おばあちゃんの愛情と生命の象徴なのだ。

季節は巡り、また夏がやってきた。デュランタの花は、今年もたくさんの花を咲かせた。青い空の下、紫色の花が風に揺れている。

私は、デュランタの花を見ながら、おばあちゃんのことをいつも思い出している。そして、これからも、この花を大切に育てていきたいと思っている。

デュランタの花は、私の人生の中で、かけがえのない存在になった。







しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

かあさんのつぶやき

春秋花壇
現代文学
あんなに美しかった母さんが年を取っていく。要介護一歩手前。そんなかあさんを息子は時にお世話し、時に距離を取る。ヤマアラシのジレンマを意識しながら。

陽だまりの家

春秋花壇
現代文学
幸せな母子家庭、女ばかりの日常

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

注意欠陥多動性障害(ADHD)の日常

春秋花壇
現代文学
注意欠陥多動性障害(ADHD)の日常

感情

春秋花壇
現代文学
感情

処理中です...