春秋花壇

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あっという間に腰まで伸びる夏の雑草たち

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あっという間に腰まで伸びる夏の雑草たち。

太陽が照りつける真夏の日々、田舎の小さな村で過ごすことにした私は、祖父母の家にやってきた。久しぶりに訪れた庭は、雑草が勢いよく伸び、腰まで達するほどだった。庭を見て、幼い頃の記憶がよみがえる。

「この庭、昔はこんなに雑草だらけじゃなかったのに」とつぶやくと、祖母がにっこり笑って答えた。「お前がいなくなってから、手が回らなくなっちゃってね。でも、これも自然の一部さ。お前も一緒に手入れしてくれれば、すぐに元通りになるよ」

祖父母と一緒に庭仕事をすることになった。最初は手強い雑草に苦戦したが、次第にコツをつかみ、祖父母と共に黙々と作業を進めた。汗が額を伝い、背中がじっとりと濡れる。しかし、その汗は心地よいものであり、まるで幼い頃のように無心になれた。

ある日、庭の片隅で不思議な草を見つけた。形が独特で、他の雑草とは一線を画していた。「これ、何だろう?」と祖父に尋ねると、祖父は笑顔で答えた。「それは『ヒメジョオン』だよ。雑草と思われがちだけど、実は薬草なんだ。昔はよく使ったもんさ」

その話を聞いて、私はさらに庭仕事に興味を持つようになった。雑草もただの雑草ではなく、一つ一つに意味があり、役割があることを知ったからだ。庭の手入れをしながら、祖父母から昔の話を聞いたり、雑草の名前や効能を教えてもらったりする日々は、私にとって新鮮であり、貴重な時間となった。

夏が終わる頃、庭は見違えるほど美しくなった。雑草はすっかり取り除かれ、花々が咲き誇る庭は、まるで昔のままだった。祖父母も嬉しそうに微笑んでいた。「お前のおかげで、また庭が元気になったよ」と祖母が言い、祖父もうなずいた。

私はこの夏、庭仕事を通じて多くのことを学んだ。雑草も一つ一つが大切であり、手をかけることで庭は生き生きと蘇る。そして、祖父母との時間もまた、何にも代えがたい宝物となった。

「あっという間に腰まで伸びる夏の雑草たち。でも、その中にも美しさや価値があるんだね」と、私は心の中でつぶやいた。これからもこの庭を大切にし、祖父母との絆を深めていこうと誓った。

夏の終わりの風が庭を吹き抜ける中、私はふと立ち止まり、庭を見渡した。雑草の中にもたくさんの物語が詰まっていることを知り、その全てが愛おしく感じられた。
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