春秋花壇

サザエのつぼ焼き

サザエのつぼ焼き

海辺の町、南風が心地よく吹く夏の夕暮れ。ひとつの古びた旅館が佇んでいた。その旅館は、昔から変わらぬ木造建築で、庭には小さな池があり、錦鯉が悠々と泳いでいた。

旅館の主人、山下悠二は四十代半ばの男性で、祖父の代から続くこの旅館を一人で守っていた。ある日、悠二のもとにひとりの女性が訪れた。彼女の名は里美。都会での忙しい生活に疲れ、静かな場所で癒しを求めてこの町を訪れたのだ。

里美は夕食時、旅館の食堂で悠二と出会った。彼は厨房から出てきて、彼女の席にひとつの料理を運んできた。それは、サザエのつぼ焼きだった。熱々のサザエの香りが食堂に広がり、里美の顔に微笑みが浮かんだ。

「これがこの旅館の名物、サザエのつぼ焼きです」と悠二は誇らしげに説明した。「新鮮なサザエを使って、丁寧に焼き上げました。どうぞ、お召し上がりください。」

里美は箸を手に取り、つぼ焼きを一口食べた。口の中に広がる磯の香りと、サザエの柔らかい身の食感が絶妙だった。

「美味しい……」と里美は感動しながら言った。「こんなに美味しいサザエは初めてです。」

悠二は微笑み、里美にサザエの話を続けた。「この町の海はとてもきれいで、サザエもたくさん採れるんです。私の祖父がこの旅館を始めたときから、このつぼ焼きが名物になりました。」

食事が進むにつれ、里美と悠二は様々な話を交わした。里美は都会の喧騒から逃れ、ここで癒しを求めていることを話し、悠二はこの町と旅館への愛情を語った。

「この旅館を守るのは大変だけど、こうしてお客様に喜んでもらえると本当に嬉しいです」と悠二は言った。「里美さんのように、ここで癒される人がいることが、私の励みになります。」

食事の後、里美は悠二に誘われて旅館の庭を散策した。夜空には満天の星が輝き、静寂な夜の空気が心地よかった。池のほとりで二人は腰を下ろし、しばらくの間、星空を見上げていた。

「ここに来て、本当に良かった」と里美はつぶやいた。「都会では感じられない、この静けさと美しさが、本当に心に沁みます。」

悠二は優しく微笑み、里美の手を取った。「この町と旅館は、いつでも里美さんを待っています。疲れたときは、いつでも戻ってきてください。」

その夜、里美は深い眠りについた。旅館の静かな夜、海の香りに包まれて、心から癒される夢を見た。

翌朝、里美は旅館を後にした。悠二は玄関で見送った。「またお会いできる日を楽しみにしています」と言い、里美に手を振った。

「ありがとう、悠二さん。また来ます」と里美は微笑み、手を振り返した。

里美は都会に戻ったが、心の中には常にあの旅館とサザエのつぼ焼きの思い出があった。時折、忙しい日々の中で思い出し、その思い出が彼女に安らぎを与えてくれた。

そして、何度も訪れるうちに、里美と悠二の関係は少しずつ深まっていった。都会の喧騒を忘れ、海辺の町で過ごす時間は、二人にとって特別なものとなっていった。

数年後、里美はついにこの町に移り住むことを決意した。悠二と共に旅館を切り盛りし、訪れる人々にサザエのつぼ焼きを提供する日々。二人の愛は、この小さな旅館と共に、穏やかに育まれていった。