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夕暮れの二人

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夕暮れの二人

その日、窓の外には穏やかな秋の陽光が降り注いでいた。超高級老人ホーム「エリシオン・ガーデン」に住む80歳の老夫婦、正雄と美智子は、朝のルーティンを終えたところだった。このホームは、広大な庭園と豪華なインテリアが揃う、まるでホテルのような施設で、夫婦は55年の結婚生活を送り続け、ここで新たな生活を迎えていた。

「今日も天気がいいわね」と美智子は、バルコニーに出て庭を見ながら微笑んだ。正雄はゆっくりと椅子に座り、本を開いていたが、ふと彼女の方を見やる。

「そうだな。今日は散歩にでも行くか?」正雄が誘うと、美智子は微笑みながら頷いた。

二人は、共に歩んできた年月を超えた穏やかな時間の中にいた。結婚して55年という月日は決して短くはなく、何度も険しい山を越えてきた。正雄は退職前、大企業の幹部を務めていたが、仕事に夢中になるあまり、家族との時間を犠牲にしてきたこともあった。その時期、美智子は専業主婦として子供たちを育て、家庭を支えてきた。しかし、そんな日々が過ぎ去った今、二人は再び互いを見つめ直す時間を持つことができていた。

超高級老人ホームでの生活は、彼らにとって新たなスタートだった。日々の細々としたことはスタッフが取り仕切り、二人はゆったりとした時間を過ごしていた。ホームには広い庭園があり、手入れの行き届いた草木が美しく、二人の散歩コースにもなっていた。

「私たちも、ここに来て少しはのんびりできるようになったわね」と、美智子は歩きながらつぶやいた。

「そうだな。あの頃は本当に忙しかった。お前には苦労をかけたな」正雄は申し訳なさそうに呟くが、美智子は穏やかに笑った。

「そんなこと言わないで。あなたのおかげで、子供たちも立派に育ったし、今こうして二人で過ごせているじゃない。これも全部、私たちの努力の結果よ」

その言葉に、正雄は少し驚いた様子を見せた。昔の美智子はあまりこういったことを口にしなかった。だが、今の彼女は、人生の山と谷を乗り越えた後の深い理解を持っているようだった。

歩いているうちに、二人は小さな池のほとりにたどり着いた。池には鯉が泳いでおり、その姿を見ながら美智子が語り出した。

「覚えてる?昔、子供たちを連れて行ったあの公園にも池があって、こんな鯉が泳いでいたわね」

正雄は懐かしそうに頷いた。「ああ、覚えている。あの時は、みんなでよくピクニックに行ったな」

「そうね。でもあなたは、よく会社から急な電話がかかってきて、途中で帰らなきゃならなかったことも多かったわ」

正雄は、その言葉に少しうつむいた。「ああ…申し訳ない気持ちだよ。本当に、もっと一緒にいられたらよかったのに」

美智子はそっと正雄の腕に触れ、「大丈夫よ」と優しく言った。「私たち、こうして一緒にいられるんだから。それで十分よ」

正雄は彼女の手を握り返し、少し目を細めて笑った。二人にとって、いまのこの時間が何よりも大切なものだった。

ホームに戻り、昼食を終えた後、正雄はまた本を読み始め、美智子は縫い物に取りかかった。彼女が縫い物をしている姿を見ながら、正雄はふと思い出した。

「そういえば、結婚当初、お前はよくこうして子供たちの服を縫っていたな」

「ええ、懐かしいわ。あの頃は、本当に忙しかったけど、それが楽しかったのよ。子供たちが喜んでくれるのが何よりも嬉しかった」

「それでも、今もこうして何かを作るのが好きなんだな」

美智子は微笑んで「そうね。でも今は、私たち二人のために作ることが多いわ」と言いながら、丁寧に針を進めていった。

夕方が近づくと、ホームのスタッフが紅茶を持ってきてくれた。美智子は窓辺に座り、夕日の光が部屋に差し込む中、穏やかな表情を浮かべた。

「今日は本当に素晴らしい一日だったわ」と彼女は呟いた。

正雄も窓の外を眺めながら頷いた。「これからも、こうして一緒に過ごしていけたらいいな」

「ええ、きっと大丈夫よ。55年も一緒にいたんだから、これからもずっと一緒よ」

二人は静かに手を取り合い、ゆっくりとした時の流れの中で、お互いの存在を感じていた。超高級老人ホームでの生活は、彼らにとって贅沢なものではあったが、それ以上に大切だったのは、二人で過ごす穏やかな時間だった。どれほど豪華な施設であろうと、何よりも愛し合う二人が一緒にいられることが、彼らにとっての最高の贅沢だった。

その夜、二人は並んでベッドに横たわり、静かに眠りについた。月明かりが差し込む部屋で、55年という長い歴史がまた一日、静かに閉じられていった。






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