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春秋花壇

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痛みの影

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「痛みの影」

朝の陽射しがカーテンの隙間から差し込む。静かな部屋の中で、村田茂(むらた しげる)はベッドの上に腰掛けたまま、ぼんやりと外を眺めていた。彼は70歳を超え、最近では一日の始まりに特に何も感じなくなっていた。

少し前まで、茂は毎朝ラジオ体操を欠かさず続けていた。体を動かすことが日課となり、そのおかげで体も心も少しだけ軽やかになった気がしていた。それが、彼にとっての小さな喜びであり、希望でもあった。

だが、手足の激痛が彼の生活を一変させた。ある朝、いつも通り体操をしている最中、突然の激しい痛みが彼を襲った。手首と膝に鋭い痛みが走り、その場で立っていられなくなった。病院に行くと「関節炎ですね」と医者に告げられ、痛み止めの薬が処方された。それから、茂は体操をやめざるを得なかった。

「痛みが引くまでは無理しない方がいいですよ」と医者に言われ、彼はしばらく休むことに決めた。しかし、その「しばらく」がいつしか日々の習慣を奪い、再び動き出す気力も奪い去った。

痛みが和らぎ始めている今も、茂はどうしてもラジオ体操を再開する気になれなかった。痛みの記憶が心の中に影を落とし、体を動かすたびにまたあの激痛が戻ってくるのではないかと恐れてしまう。

「もう少ししたら再開しよう」と、自分に言い聞かせるものの、朝になるとベッドの上で何もしない時間が続く。

茂はテレビをつけて、ぼんやりとラジオ体操の音楽が流れるのを聞く。映像の中で、若い指導者たちが元気よく手足を動かし、楽しそうに体を動かしている姿が映し出されている。しかし、彼の体は重く、まるで自分の意志ではどうにもならないかのように動かない。

「どうしてできないんだ…」

茂は自分に苛立ちを覚えた。痛みが消えたのなら、もう一度始められるはずだ。それでも、体を動かそうとするたびに、あの激痛の記憶が頭をよぎる。体操を再開したいという気持ちはあるのに、どうしても一歩を踏み出せないのだ。

ベッドの横には、使い古されたラジオ体操のDVDが置かれている。それは彼が数年前に購入したもので、初めて一人で体操を始めた時の記憶が詰まっている。初めのうちは、動きもぎこちなく、少し無理をして体を動かしていた。しかし、続けるうちに体が少しずつ軽くなり、気持ちも前向きになっていった。あの頃の自分が、今の自分を見たらどう思うだろうか。

茂はため息をつき、DVDを手に取った。再生ボタンを押すと、昔慣れ親しんだラジオ体操の音楽が部屋に流れ出した。ゆったりとしたリズムに合わせて体を動かすことが、かつては彼にとっての日常だった。しかし、今の彼にはそのリズムさえも遠く感じられる。

「もう年だから、仕方がないのかな…」

そんな思いが胸に浮かび、再び自分を正当化しようとする。しかし、どこかで心の奥底にある反発が、その言葉を拒んでいた。年齢のせいにすることで、自分の弱さから逃げているのではないかと、茂は薄々感じていた。

突然、ドアのチャイムが鳴った。茂は驚き、リモコンでテレビを消して玄関へ向かった。

そこには、近所に住む中学生の孫娘が立っていた。彼女はにっこりと微笑み、「おじいちゃん、ラジオ体操してる?」と聞いた。

茂は一瞬言葉に詰まったが、すぐに苦笑いを浮かべて「いや、ちょっと休んでるんだ」と答えた。

孫娘は首を傾げ、「なんで?おじいちゃん、いつもやってたじゃん」と無邪気に尋ねた。

「まぁ、ちょっと痛みがあってな…」

「でも、痛み引いてきたんでしょ?お医者さんも動いていいって言ってたんじゃないの?」

茂は何も言えなかった。確かに、痛みは和らいでいる。再開することはできるはずだ。だが、動き出すための勇気が出ない。孫娘の純粋な目が彼を見つめ、まるで彼の心の中を見透かすようだった。

「うん…でも、なんとなくな…」

「じゃあ、一緒にやろうよ!」孫娘は笑顔で提案した。「おじいちゃん、最初は一緒にやってあげるから。少しずつでいいよ!」

その言葉に、茂は心が軽くなるのを感じた。孫娘と一緒なら、もう一度挑戦してもいいかもしれないと思えたのだ。

「よし、わかった。少しずつな」と、茂はゆっくりと立ち上がった。

こうして、彼は再びラジオ体操を始めることにした。痛みや不安が完全に消えたわけではないが、誰かが支えてくれるという安心感が、彼に新たな力を与えたのだ。

再び体を動かす中で、茂は気付いた。痛みよりも、自分の心の中の恐れが、本当の敵だったのだと。そして、たとえ小さな一歩でも、踏み出すことが大切だということを。






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