老人

鶯鳴かせたこともある

「鶯鳴かせたこともある」

春の訪れとともに、京の町ではうぐいすの声が響き渡るようになった。その美しい鳴き声は、人々の心を和ませ、季節の変わり目を感じさせるものだった。そんな中、寺の庭先に立つ一人の老人が、静かに鶯の声を耳にしていた。彼の名前は榊原清之助。かつては名を馳せた武士だったが、今では隠居し、静かな余生を送っていた。

清之助はかつて、このうぐいすの声を自らの力で鳴かせたことがある。だが、それは剣を振るうことでなく、策を巡らせた結果だった。彼がまだ若い頃、時の将軍に仕えていたときのことである。

数十年前、清之助はある任務を命じられた。将軍家に近い大名の屋敷で、盗賊が夜な夜な現れるという噂が立ち、屋敷の財産や重要な文書が奪われる可能性があるとのことだった。大名は将軍の信頼厚く、その信用を失うわけにはいかない。そこで、名うての剣士として名を馳せていた清之助が、静かに解決することを命じられたのだ。

清之助は大名の屋敷に送り込まれ、内偵を進める中で気づいたことがあった。屋敷には美しい庭園が広がっており、そこには桜の木が何本も植えられていた。夜になると、鶯の鳴き声が遠くから響いてきた。盗賊は、この鳴き声に紛れて屋敷に侵入していたのだ。

清之助はこの自然の音を利用して罠を仕掛けることを思いついた。彼は、鶯の声を意図的に操作できる特技を持つ老庭師に協力を仰ぎ、盗賊が活動する時間帯に、鶯の声を合図として庭に鳴かせるように仕向けた。庭師は、鶯が鳴くタイミングを見計らいながら音をコントロールすることができる稀有な人物だった。清之助はその庭師に、一定の間隔で鶯を鳴かせることを依頼し、盗賊が現れる瞬間を待つ計画を立てた。

夜が深まり、静寂が辺りを包む頃、鶯の声が庭園に響き渡った。最初は小さな声だったが、次第にその音が大きくなり、屋敷の内外にまで聞こえるようになった。清之助は、物陰からじっとその時を待ち構えていた。鶯の鳴き声が変わる瞬間が、盗賊の行動の合図だった。

すると、庭の隅に不審な影が忍び寄り、門をこじ開けようとした。清之助はその瞬間を見逃さず、静かにその場を取り囲むように部下たちを動かした。盗賊たちはまんまと鶯の声に油断し、侵入を試みていた。彼らが完全に中に入った瞬間、清之助の部下たちが一斉に取り囲んだ。

「動くな！」

清之助の鋭い声が庭に響く。盗賊たちは完全に包囲されており、逃げ場はなかった。彼らは鶯の声を合図にしていたつもりが、それこそが清之助の巧妙な罠であったことに気づいた時には、すでに遅かった。

その後、盗賊たちは無事捕らえられ、大名の屋敷も守られた。将軍家に迷惑がかかることもなく、清之助の策は見事に成功した。だが、誰もその成功の裏に、鶯を鳴かせた庭師の存在があったことには気づかなかった。

清之助はこの出来事を胸に秘め、誰にも語ることはなかった。鶯の声が再び聞こえるたびに、その夜の庭師との協力を思い出し、静かに微笑んでいた。彼の名は剣の腕前で広く知られていたが、この一件でさらに評価を高めた。彼がかつて「鶯を鳴かせたことがある」と冗談交じりに語ると、周りの者たちはその真意を知ることなく、ただ笑い飛ばしていた。

今では、清之助は隠居生活を送り、かつての栄光の日々を思い返すことはほとんどない。しかし、春になると、うぐいすの声を聞くたびに、あの庭師の静かな顔を思い出し、ふと心が温まるのを感じていた。彼の戦いは、剣の勝負だけではなく、知恵と策略によって勝ち取られたものでもあった。

「鶯が鳴いたか…」

静かに呟きながら、彼は再び窓の外を見つめた。