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春秋花壇

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「年金は80歳から」の時代

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「年金は80歳から」の時代

薄曇りの朝、通勤電車の中でスマートフォンのニュースアプリを開いた。タイトルには、「総理候補王子、『年金は80歳から』発言で波紋」とある。まさに寝耳に水のニュースだった。記事には、若き総理候補が記者会見で堂々と年金支給開始年齢の引き上げを提案したことが書かれている。「お金持ちのお坊ちゃんの言うことはすごいな」と、私は思わず苦笑した。

電車は乗客でぎゅうぎゅう詰めで、隣に立っている年配の男性が肩をすくめているのが見えた。おそらくそのニュースを見たのだろう。彼の表情は険しく、ため息が漏れた。「80歳からだって?冗談じゃない」と彼は誰にともなくぼやく。その言葉に同調するかのように、周りの乗客も一斉に顔をしかめた。

厚生労働省の「簡易生命表(令和5年)」によれば、2023年の日本人の平均寿命は男性が81.09歳、女性が87.14歳だ。平均寿命は年々延び続けているが、それが本当に幸せなのか、ふと疑問が湧く。40年前と比べて男性は6.89年、女性は7.36年も長生きしているが、その長い人生の最後の何年をどう過ごすのかという問題は、誰も真剣に考えていないように見える。

「年金は80歳から」。その言葉が頭の中で何度も繰り返される。自分が80歳まで生きられる保証もないし、年金をもらえる頃にはどんな状態であるのかも想像がつかない。今のまま働き続けられるのか、家族の支えがあるのか、それとも一人で孤独に生きるのか。未来は不確定で、現実味のない話が次々と現実になっていくように感じられた。

その日、会社では同僚たちもこのニュースについて話していた。経理の田中さんは、「今でさえ年金が足りなくて、老後の資金をどうするかって悩んでるのに、80歳からなんてありえないよ」と憤っていた。営業の鈴木さんは、「結局、金持ち連中は自分たちが困らないように好き放題言ってるんだ」と不満を漏らした。

私は静かにパソコンの画面に向かっていたが、内心では同じような思いがあった。年金の支給開始年齢が引き上げられることになれば、ますます老後の不安が増す。お金がある人は自分の資産を頼りにすればいいが、普通の人はどうすればいいのか。働けなくなったら、何を頼りに生きていけばいいのか。

昼休みに、同僚たちと近くのカフェで昼食を取ることになった。カフェのテレビでも、総理候補王子の発言についてのニュースが流れていた。キャスターは「年金改革の必要性」について語っていたが、その言葉は私たちには遠い理論にしか思えなかった。

「まあ、彼らには現実感がないんだろうね」と、田中さんがスプーンを置きながら言った。「だって、俺たちみたいに毎日働いて生活費を稼いでるわけじゃないんだから」

鈴木さんは頷きながら、「でも、結局そういう人たちが政治を動かしてるんだよな。俺たちはただのコマに過ぎない」とぼやいた。私はその言葉に深く同意しながらも、どうすることもできない自分に苛立ちを感じた。

その日の仕事が終わり、私はいつものように電車に乗り込んだ。帰宅ラッシュの時間帯で、車内はさらに混雑していた。周りには同じように疲れた表情のサラリーマンや学生が溢れている。誰もがそれぞれの悩みを抱えながら、ただ目の前の一日を乗り越えているように見えた。

ふと窓の外を見ると、街は夜の闇に包まれ始めていた。ネオンの光がちらちらと輝き、都会の喧騒が耳に届く。そんな光景を眺めながら、私は心の中でつぶやいた。「80歳まで生きて、年金をもらえる未来が本当に来るのか?」

答えのない疑問は、やがて疲れた頭の中で薄れていった。家に着くと、いつも通り夕食をとり、テレビをぼんやりと見ながら、また一日が終わっていく。年金の話題はニュースから次第に消えていき、別の問題が取り上げられている。次々と移り変わるニュースに、私たちは振り回されているだけのように思えた。

寝る前、布団に入ってスマートフォンを手に取り、再びニュースアプリを開いた。結局、誰かが言った「年金は80歳から」という言葉は、私たちの生活にどれほど影響を与えるのだろうか。明日もまた同じように仕事へ向かい、変わらない日常が続くのだろう。その日常の中で、ほんの少しでも安心できる未来が見えてくることを願いながら、私は目を閉じた。

「現実と理想の狭間で、私たちはどう生きていくのか?」その問いは、遠い未来の答えを求めて宙に浮かんだまま、やがて夢の中へと消えていった。










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