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雪解けの車いす
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雪解けの車いす
私の祖母は、5年間寝たきりだった。私が10歳のとき、突然倒れてからというもの、祖母はベッドの上での生活を強いられるようになった。それまで元気だった彼女の姿が、日に日に痩せ細り、言葉も少なくなっていくのを見て、私は子ども心に寂しさを感じた。
祖母の家は古い木造の日本家屋で、床の間には家族の写真や古びた置物が並んでいた。私が幼い頃、祖母はよくこの家の縁側で私に昔話をしてくれた。どれも田舎の風景や、人々の温かさに満ちた話ばかりで、私はその時間が大好きだった。しかし、今はその縁側も静かだ。祖母の笑い声も、語りかけもなくなってしまった。
ある日、母が言った。「おばあちゃんのために車いすを用意しようと思ってるの。でも、私たちにはまだそれを買う余裕がないのよね」車いすの話は何度も家族の間で持ち上がったが、結局いつもお金の問題で立ち消えになってしまう。私たちは決して裕福ではなく、父も工場での仕事が減ってきている状況だった。車いすを買うことは、私たちの家計にはかなりの負担になる。
母は、できるだけ祖母を楽にさせてあげたいと、毎日お世話を頑張っていた。祖母を抱えてベッドからトイレに連れて行ったり、体を拭いたりする母の姿を見るたびに、私は何もできない自分を歯がゆく思った。何度も手伝おうとしたが、母は「大丈夫よ」と笑って言うだけだった。
冬のある日、珍しく雪が降った。窓の外を見ると、庭が一面真っ白になっていた。私は祖母の部屋に行き、ベッドのそばで声をかけた。「おばあちゃん、外に雪が降ってるよ。見たい?」祖母はうっすらと目を開けて、弱々しく頷いた。その瞬間、私は祖母を外に連れ出してあげたいという思いに駆られた。
「お母さん、僕が車いすを作るよ」と私は突然言った。母は驚いたように私を見つめた。「どうやって?」と訊かれたが、私には具体的な考えがあったわけではなかった。ただ、祖母を少しでも外の空気に触れさせてあげたいという気持ちが強かった。
それから、私は学校から帰るとすぐに庭の倉庫に向かった。父が使わなくなった古い椅子や木の板、釘などを集めて、なんとか車いすのようなものを作り上げた。父に手伝ってもらいながら、私はその車いすを一生懸命に組み立てた。もちろん、素人が作ったものなので不格好で、見た目もゴツゴツしていたが、それでも私は自分の手で祖母を外に連れ出せる喜びに満ちていた。
完成した車いすを見た母は、笑いながらも涙を流して「ありがとう」と言った。祖母をその車いすに乗せると、彼女は少し驚いたような表情を浮かべたが、すぐに柔らかい笑みを浮かべた。母と私は、そっと祖母を庭の方へ押していった。
外の空気は冷たく、祖母の頬に小さな雪のかけらが舞い降りた。彼女の目には、小さな涙が浮かんでいた。それが悲しみの涙なのか、嬉しさの涙なのか、私にはわからなかった。でも、その日以来、祖母は少しずつ元気を取り戻し始めたように感じた。
それからも、私たちは時折、手作りの車いすで祖母を外に連れ出した。季節の移り変わりを感じてもらうために、桜の咲く春や、暑い夏の日にも。祖母はどんなときでも小さな笑顔を見せてくれた。私はその笑顔を見るたびに、自分がしていることに意味があるのだと確信した。
祖母が亡くなったのは、私が15歳の時だった。彼女の葬儀が終わり、家に戻ってきた私は、ふとあの手作りの車いすを思い出した。倉庫の隅に置かれたそれは、使い込まれてボロボロになっていたが、私にとっては大切な思い出の品だった。
あの日、祖母を初めて外に連れ出した時の彼女の笑顔。雪が頬に触れた時の温かな涙。それらすべてが、私の心に刻まれている。祖母は私に「思いやり」と「勇気」の大切さを教えてくれたのだと思う。
祖母がいなくなった今でも、私はあの時の気持ちを忘れない。どんなに小さなことでも、誰かを想って行動することができるなら、それがきっと大切なことなのだと信じている。
私の祖母は、5年間寝たきりだった。私が10歳のとき、突然倒れてからというもの、祖母はベッドの上での生活を強いられるようになった。それまで元気だった彼女の姿が、日に日に痩せ細り、言葉も少なくなっていくのを見て、私は子ども心に寂しさを感じた。
祖母の家は古い木造の日本家屋で、床の間には家族の写真や古びた置物が並んでいた。私が幼い頃、祖母はよくこの家の縁側で私に昔話をしてくれた。どれも田舎の風景や、人々の温かさに満ちた話ばかりで、私はその時間が大好きだった。しかし、今はその縁側も静かだ。祖母の笑い声も、語りかけもなくなってしまった。
ある日、母が言った。「おばあちゃんのために車いすを用意しようと思ってるの。でも、私たちにはまだそれを買う余裕がないのよね」車いすの話は何度も家族の間で持ち上がったが、結局いつもお金の問題で立ち消えになってしまう。私たちは決して裕福ではなく、父も工場での仕事が減ってきている状況だった。車いすを買うことは、私たちの家計にはかなりの負担になる。
母は、できるだけ祖母を楽にさせてあげたいと、毎日お世話を頑張っていた。祖母を抱えてベッドからトイレに連れて行ったり、体を拭いたりする母の姿を見るたびに、私は何もできない自分を歯がゆく思った。何度も手伝おうとしたが、母は「大丈夫よ」と笑って言うだけだった。
冬のある日、珍しく雪が降った。窓の外を見ると、庭が一面真っ白になっていた。私は祖母の部屋に行き、ベッドのそばで声をかけた。「おばあちゃん、外に雪が降ってるよ。見たい?」祖母はうっすらと目を開けて、弱々しく頷いた。その瞬間、私は祖母を外に連れ出してあげたいという思いに駆られた。
「お母さん、僕が車いすを作るよ」と私は突然言った。母は驚いたように私を見つめた。「どうやって?」と訊かれたが、私には具体的な考えがあったわけではなかった。ただ、祖母を少しでも外の空気に触れさせてあげたいという気持ちが強かった。
それから、私は学校から帰るとすぐに庭の倉庫に向かった。父が使わなくなった古い椅子や木の板、釘などを集めて、なんとか車いすのようなものを作り上げた。父に手伝ってもらいながら、私はその車いすを一生懸命に組み立てた。もちろん、素人が作ったものなので不格好で、見た目もゴツゴツしていたが、それでも私は自分の手で祖母を外に連れ出せる喜びに満ちていた。
完成した車いすを見た母は、笑いながらも涙を流して「ありがとう」と言った。祖母をその車いすに乗せると、彼女は少し驚いたような表情を浮かべたが、すぐに柔らかい笑みを浮かべた。母と私は、そっと祖母を庭の方へ押していった。
外の空気は冷たく、祖母の頬に小さな雪のかけらが舞い降りた。彼女の目には、小さな涙が浮かんでいた。それが悲しみの涙なのか、嬉しさの涙なのか、私にはわからなかった。でも、その日以来、祖母は少しずつ元気を取り戻し始めたように感じた。
それからも、私たちは時折、手作りの車いすで祖母を外に連れ出した。季節の移り変わりを感じてもらうために、桜の咲く春や、暑い夏の日にも。祖母はどんなときでも小さな笑顔を見せてくれた。私はその笑顔を見るたびに、自分がしていることに意味があるのだと確信した。
祖母が亡くなったのは、私が15歳の時だった。彼女の葬儀が終わり、家に戻ってきた私は、ふとあの手作りの車いすを思い出した。倉庫の隅に置かれたそれは、使い込まれてボロボロになっていたが、私にとっては大切な思い出の品だった。
あの日、祖母を初めて外に連れ出した時の彼女の笑顔。雪が頬に触れた時の温かな涙。それらすべてが、私の心に刻まれている。祖母は私に「思いやり」と「勇気」の大切さを教えてくれたのだと思う。
祖母がいなくなった今でも、私はあの時の気持ちを忘れない。どんなに小さなことでも、誰かを想って行動することができるなら、それがきっと大切なことなのだと信じている。
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