いとなみ

春秋花壇

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終の住処(ついのすみか)

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7月初めで梅雨も明けていないというのに、

東京は連日38度の体温よりも高い気温を叩きだしていく。

蝉も暑すぎるのか、力なく鳴いている。

これが、山口の生まれ故郷ならもくもくと現れた入道雲が

突然、雷をまとって夕立がぴっからちゃっからどんがらりんと

涼を運んでくるのだろうが、熱しすぎたアスファルトは

「帰りましょう」がなってからも冷めることなく

口惜しそうに沈む太陽を照り返している。

わたし、井上静香(いのうえしずか)58歳は、本日付けをもって

長年勤めた教員を退職する。

通常なら、年度末で辞める先生がほとんどなのだが、

産休を取られた先生が居たので今まで引き延ばされてきた。

本当はもっと早く、55歳くらいでやめたかったのだが、

ずるずると引き延ばされて58歳になってしまった。

わたしのような人間嫌いが大切な子供たちと

関わっていくのはおこがましいとさえ思えるのだが……。

まあ、今までよく頑張ってきた。

と、自画自賛しながら一人の時間を楽しんでいる。

さらりとシャワーを浴びて、のどごし生でも飲みましょうか。

お酒のあては、いかの姿焼き。

さっとあぶって、生姜醤油。

夏―って感じですよね。

そして、もう一品。

私の大好きな、大根と山芋の千切りに

カイワレ大根、鰹節を載せてだし醤油でいただきます。


うーん、お口の中がトレビアン。

うふふ、干物女は幸せ。

うちわ片手に扇風機を回して、浴衣着るのも悪くない。

豚の蚊取り線香入れるやつも、いい感じの暑い夏を演出してくれる。

子供でもいたら、西瓜に線香花火。

なんて、ドラマに出てきそうだね。

この家は、身罷った叔母が買ったものだが、

誰とも結婚しなかったから私が相続することととなった。

縁側があるこの家の作りが大好きだ。

お庭もあって、とっても気に入っている。

柿やイチジク、グミ、柚子、これからゆっくり老後を過ごすには

十分すぎる家だ。

叔母も学校の教師だった。

「生徒が怖い」と、早期退職してしまったのだが、

お茶の先生をしながら高等遊民のような生活をしていた。

デイケアの人に手伝ってもらって叔母の最期をみとる事も出来た。

喪失感からまだ立ち直れないでいるが、

わたしはわたしなりに精一杯介護が出来たと自負している。

退職金を合わせると、1億2000万円の貯蓄もある。

女としては、まずまずの人生なのかな?

節約生活を心から楽しむことが出来たし、与えられたものを大切に扱い

感謝しながら生きていく生きざまは、生徒たちに伝える価値があると自負していた。

さて、どんな老後を送れるのかな?


たなばたの 星も女ぞ 汝(な)をおきて 

頼む男は なしと待つらん


「8月の七夕に仙台を旅行してみようかしら?」


与謝野晶子の恋の唄を口ずさみながら、

最近、プロポーズされた鈴木崇(すずきたかし)61歳さんを思い

口元がゆるんでいく。

彼も何年か前に教員をやめられ、

悠々自適な老後生活を送っていらっしゃるのだろう。

多分、退職金もあるし年金もあるから

二人で生活してもお金には困らない生活が送れると

想像していた。

わたしとしては、このまま、別なところに住み、

会いたいときだけあって、自由に生活できたらありがたいのだけど……。

これってすごい自分勝手な事なのかな?

釣った魚にエサは上げない男の人もいるし

それならば、適度な距離を保ち、キャッチアンドリリースを繰り返せたら

面白くない?と思うのだった。

要するに、責任も制約ももう御免蒙りたいということなのだろうと思う。

退職してまで、人の顔色を窺いながら自分のやりたいことも我慢するのは

もううんざりなのだ。

柳に風でへらへらとすきに靡(なび)いて余生を全うしたい。

なんて贅沢な生き方なんだろう。

無理に断捨離するわけでもなく、スローにまったりと時を刻めたら

な~んて思っていたのだが……。


7月1日付で退職して1週間が過ぎた7月7日。

突然、崇さんから電話があり、

「ぜひ、娘と会って欲しい」

ということだった。


金融会社が立ち並ぶ大手町に黒を基調にした素敵なホテル。

そこが指定された場所だった。

江戸小紋の麻の葉をモチーフに和を思わせる建物。

打ち水が施され、おもてなしの心がやんわりと伝わってくる。

そんな中で紹介された娘さんは、やけに派手な人だった。

ブランド品を身にまとい、そのわりには所作もなんとなく雑。

爪だけはとても美しく装飾されていた。

今はやりのジェルネイルだろうか?

香水もいい香りなのだが、ちょっとつけすぎッて感じ。

靴は9センチのヒールかな?

できれば、関わりたくないような感じの人。

思わず、上から下まで嘗め尽くすように見てしまう自分も嫌。

(いやいや、第一印象で崇さんの大切に育てた娘さんを裁いちゃダメ)

と、思いを変えようとするのだが、

挨拶もお辞儀もやっぱり、う~ん。

挙句に、挨拶もそこそこに、

「沢山退職金もらえていいですね」

って。

……。

どういうしつけをされてきたんだ?

親の顔が見てみたい。

って、親は崇さんか……。

「籍を早く入れて、けじめをつけて欲しいんですけど」

うーーん。その前にちゃんと自己紹介してよ。

段々わたしは不機嫌になっていく。

そうね。そうよね。

人にはそれぞれ生き方があるし、家族だっている。

わたしのように貯蓄が趣味みたいな人ばかりじゃないのよね。

って、閉じかけた心の扉を静かに押し開く。

「どうして、けじめをつけて欲しいと思うの?」

わたしは、穏やかな口調で静かに問い返した。

「だってーー、何かあった時、財産分与とか困るでしょう?」

うわあー、今時の子どもはそういうことを心配するんだ?

なんか、異星人を見てるみたい。

うっ、やっぱり、親の顔が見てみたい。

「大丈夫よ、しばらくは、籍も入れないし、同居もしません」

と、目を見ながらきっぱり言うと、

「えええええ、それじゃあ、話が違うんじゃん」

?

「失礼ですけど、本題に入る前に自己紹介お願いしてもよろしいですか?」

「そんなこと、パパから聞いてるでしょう?」

ためくちでRespectも親に対する感謝もない言葉を羅列してくる彼女に

目は点になり、口はポカンとあきれ返ってふさぐことが出来なかった。

「確認しますが、おとうさまの崇さんは、一人暮らしなんですよね?」

「だからー、静香さんと結婚するなら介護しなくて済むだろうし……。

こっちにも予定とか心づもりとか……」

まぁ、そりゃそうよね。

枯山水の心地よいホテルのディティールだけが心をほぐしてくれるひととき。

世の中には、いろんな人がいるのねー。

「ご心配はよーくわかりました。わたくしとしてもちゃんとお返事できるよう

努力したいと思います」

と、お礼を述べ、病み上がりの厨房のような彼女に会釈した。



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