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幸せな結婚生活 折半
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私の名前は田中 香織(34歳)
私の実家は母子家庭で、高校を卒業した後、介護の仕事を経て
現在ケアマネージャーしている。
わたしは10年前、大輔(現在37歳)からプロポーズされ結婚をした。
彼の実家は、相当のお金持ちで、ゆくゆくは後を継ぐのだとか…。
わたしは、彼の実家の財産に全く興味が無かったのだが、
わたしの実家を見て、築年数100年近く経っているのだが
「土地は少し広いけど、相当古い家で貧乏まるだし」
と、罵倒してくるようになった。
妻にマウント取ってなにしてる~><
あきれ返って開いた口が塞がらない。
「君が、財産狙いじゃない確信が持てるまで生活費を折半しよう」
とまで言うようになった。
「えええ?」
「食費も、光熱費も、家賃も雑費も全部折半な」
と、平然と言ってのける。
わたしは、呆れかえって、
「この人、なんで私と結婚したんだろう」
と、思っていたのだが、疲れている事も手伝って黙っていた。
彼曰く、手に職もあって雑誌のモデルも出来そうな綺麗な人を
嫁に貰えたら男冥利に尽きると思ったのだとか…。
釣った魚に餌もやれないほど、心が貧相なのかー。
もうもう、あきれ返ってしまって話し合う気力さえ失う。
あなたが誘わなかったら別な幸せがあったかもとも思ったのだが、
後の祭りである。
男を見る目が私に無かったということで諦めるしかなかった。
怒らない人は優しいのではなく、他人に興味がなくて
わざわざ自分の感情と時間を使ってまで
他人に怒るなんてめんどくさいと思ってる人である場合が多い。
彼、彼女らは怒る事が自身にストレスを与え
心の平穏を奪っていく非生産的な行為だとわかってるので
自分の心の平穏を犠牲にしてまで他人に怒らない。
愛の反対は憎しみではなく、無関心だ。
それから、半年くらいして、
「お金が折半なら、家事だけ私って変よね」
と、言うと、食事も雑貨も自分で買ってくるようになった。
ただ一緒に住んでいるだけの共同生活。
それでも、いつか変わってくれるかもという
期待があったから我慢していたのだが、
ある時、彼の友達とわたしの友達と
8人で芦ヶ久保に巨峰狩りに出かけた。
都心の風景とは違って、空が何処までも広い。
ビルの谷間の電線だらけの四角い空ではなかった。
雲の峰が連立する広々とした夏の空。
ぽっかり浮かんだ入道雲はおおらかな気持ちにしてくれる。
ぎすぎすした折半のせこい結婚生活だけどたまにはこういうのも
悪くないよねって誘って貰えたことに感謝すらしていた。
なのになのにだ。
車の中で、
「こいつの実家、貧乏でボロヤなんだぜ」
と、みんなに話している。
自分の妻を虐げて何が楽しいんだろう。
せっかくの青い空が涙で滲む。
わたしは、この人と一緒にいるのが本当に嫌になっていった。
彼の義妹さんの結婚式にも、
「こいつ、財産狙いなんだぜ。実家が凄い貧乏なんだ」
と、確信したように言い放つ。
(なにこいつ。ちょっちむかつく)
わたしは、それを聞くともうこの人とは一緒にいられないと思った。
わたしの家は、母子家庭だけどお金に不自由した事は一度も無かった。
大学に行かなかったのも早く介護の職に就いて実務年数3年を熟し、
ケア・マネージャーの資格を取得したかったからだ。
それに、生前贈与として私が生まれて来た時から、
毎年50万円を父母は貯金してくれていて、
お嫁に行くときには、1200万円の持参金があった。
私の実家は、建物は確かに古いけど土地は広かった。
区画整理で買収されたので、別な処に家を建てる事にした。
わたしと大輔さんが住んでいたマンションは2LDKだけど
家賃も都心なので高い。
当然、私が出て行けば独りでは高すぎる家賃だろう。
一緒にご飯を食べる事も、楽しく語らう事も無かった結婚生活。
わたしの大輔さんに対する愛は消えていく。
実家が新居に移った事を機会に私も家に帰って離婚の手続きをした。
共同の貯金などもなく子供もいなかったので、すんなり離婚は成立した。
離婚後、間もなくして大輔さんのお義父様が亡くなった。
沢山あったはずの財産は、ふたを開けてみれば借金が沢山あり、
財務整理をするとほとんどお金は残らなかったようだ。
それに加えて、お義母さまが要介護状態になり、
電話がかかって来て、
「介護手伝ってくれないか。ちょっと前までは家族だったんだから」
と、平気で言う。
わたしは本当にあきれ返ってしまった。
なにもかも、折半でただ一緒に住むだけの共同生活。
あれが家族と呼べるのだろうか。
考えようによっては、大輔さんもかわいそうな人なのかもしない。
夫の勤めは妻を笑顔にする事。
妻の勤めは気持ちよく夫に仕事をしてもらえるようにする事。
そんな基本的な事も、学んでこなかっのだろう。
わたしは、今、仕事場も新しくできた老人ホームに変わり、
実家から近い場所なので母と楽しく暮らしている。
母と一緒にご飯を作ってたべたり、外食に出かけたり、温泉に行ったり
毎日をとても楽しく有意義に暮らしている。
母は最近、お茶を始めたのだが、
「6畳の和室に炉をきって、茶室にするのも悪くないね」
と話している。
言葉が変われば心が変わる
心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる
今が一番幸せ
ありがとうございます。
私の実家は母子家庭で、高校を卒業した後、介護の仕事を経て
現在ケアマネージャーしている。
わたしは10年前、大輔(現在37歳)からプロポーズされ結婚をした。
彼の実家は、相当のお金持ちで、ゆくゆくは後を継ぐのだとか…。
わたしは、彼の実家の財産に全く興味が無かったのだが、
わたしの実家を見て、築年数100年近く経っているのだが
「土地は少し広いけど、相当古い家で貧乏まるだし」
と、罵倒してくるようになった。
妻にマウント取ってなにしてる~><
あきれ返って開いた口が塞がらない。
「君が、財産狙いじゃない確信が持てるまで生活費を折半しよう」
とまで言うようになった。
「えええ?」
「食費も、光熱費も、家賃も雑費も全部折半な」
と、平然と言ってのける。
わたしは、呆れかえって、
「この人、なんで私と結婚したんだろう」
と、思っていたのだが、疲れている事も手伝って黙っていた。
彼曰く、手に職もあって雑誌のモデルも出来そうな綺麗な人を
嫁に貰えたら男冥利に尽きると思ったのだとか…。
釣った魚に餌もやれないほど、心が貧相なのかー。
もうもう、あきれ返ってしまって話し合う気力さえ失う。
あなたが誘わなかったら別な幸せがあったかもとも思ったのだが、
後の祭りである。
男を見る目が私に無かったということで諦めるしかなかった。
怒らない人は優しいのではなく、他人に興味がなくて
わざわざ自分の感情と時間を使ってまで
他人に怒るなんてめんどくさいと思ってる人である場合が多い。
彼、彼女らは怒る事が自身にストレスを与え
心の平穏を奪っていく非生産的な行為だとわかってるので
自分の心の平穏を犠牲にしてまで他人に怒らない。
愛の反対は憎しみではなく、無関心だ。
それから、半年くらいして、
「お金が折半なら、家事だけ私って変よね」
と、言うと、食事も雑貨も自分で買ってくるようになった。
ただ一緒に住んでいるだけの共同生活。
それでも、いつか変わってくれるかもという
期待があったから我慢していたのだが、
ある時、彼の友達とわたしの友達と
8人で芦ヶ久保に巨峰狩りに出かけた。
都心の風景とは違って、空が何処までも広い。
ビルの谷間の電線だらけの四角い空ではなかった。
雲の峰が連立する広々とした夏の空。
ぽっかり浮かんだ入道雲はおおらかな気持ちにしてくれる。
ぎすぎすした折半のせこい結婚生活だけどたまにはこういうのも
悪くないよねって誘って貰えたことに感謝すらしていた。
なのになのにだ。
車の中で、
「こいつの実家、貧乏でボロヤなんだぜ」
と、みんなに話している。
自分の妻を虐げて何が楽しいんだろう。
せっかくの青い空が涙で滲む。
わたしは、この人と一緒にいるのが本当に嫌になっていった。
彼の義妹さんの結婚式にも、
「こいつ、財産狙いなんだぜ。実家が凄い貧乏なんだ」
と、確信したように言い放つ。
(なにこいつ。ちょっちむかつく)
わたしは、それを聞くともうこの人とは一緒にいられないと思った。
わたしの家は、母子家庭だけどお金に不自由した事は一度も無かった。
大学に行かなかったのも早く介護の職に就いて実務年数3年を熟し、
ケア・マネージャーの資格を取得したかったからだ。
それに、生前贈与として私が生まれて来た時から、
毎年50万円を父母は貯金してくれていて、
お嫁に行くときには、1200万円の持参金があった。
私の実家は、建物は確かに古いけど土地は広かった。
区画整理で買収されたので、別な処に家を建てる事にした。
わたしと大輔さんが住んでいたマンションは2LDKだけど
家賃も都心なので高い。
当然、私が出て行けば独りでは高すぎる家賃だろう。
一緒にご飯を食べる事も、楽しく語らう事も無かった結婚生活。
わたしの大輔さんに対する愛は消えていく。
実家が新居に移った事を機会に私も家に帰って離婚の手続きをした。
共同の貯金などもなく子供もいなかったので、すんなり離婚は成立した。
離婚後、間もなくして大輔さんのお義父様が亡くなった。
沢山あったはずの財産は、ふたを開けてみれば借金が沢山あり、
財務整理をするとほとんどお金は残らなかったようだ。
それに加えて、お義母さまが要介護状態になり、
電話がかかって来て、
「介護手伝ってくれないか。ちょっと前までは家族だったんだから」
と、平気で言う。
わたしは本当にあきれ返ってしまった。
なにもかも、折半でただ一緒に住むだけの共同生活。
あれが家族と呼べるのだろうか。
考えようによっては、大輔さんもかわいそうな人なのかもしない。
夫の勤めは妻を笑顔にする事。
妻の勤めは気持ちよく夫に仕事をしてもらえるようにする事。
そんな基本的な事も、学んでこなかっのだろう。
わたしは、今、仕事場も新しくできた老人ホームに変わり、
実家から近い場所なので母と楽しく暮らしている。
母と一緒にご飯を作ってたべたり、外食に出かけたり、温泉に行ったり
毎日をとても楽しく有意義に暮らしている。
母は最近、お茶を始めたのだが、
「6畳の和室に炉をきって、茶室にするのも悪くないね」
と話している。
言葉が変われば心が変わる
心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる
今が一番幸せ
ありがとうございます。
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