名言

夢は逃げない、逃げるのはいつも自分だ。

夢は逃げない、逃げるのはいつも自分だ。


大学を卒業してから、もう5年が経つ。山口直人は、ふとした時にその言葉が頭をよぎることがあった。

「夢は逃げない。逃げるのはいつも自分だ。」

それは大学時代に尊敬していた先輩、坂本から聞いた言葉だった。坂本は、直人が通っていた文学サークルのエースで、詩や小説を書かせれば誰もが一目置く才能を持っていた。坂本はいつも情熱的で、自分の夢を追い続ける姿勢が輝いていた。

直人もかつて、夢を持っていた。それは、小説家になること。大学時代は坂本に刺激を受け、毎日のようにノートにアイデアを書き込んでいた。図書館にこもり、遅くまで机に向かい、何度も推敲を重ねた。それが直人にとっての「夢」だった。

だが、現実はそう甘くなかった。直人は卒業後、安定した生活を望み、就職活動に没頭した。出版社やメディア業界を志望したが、就職戦線で敗北を重ね、最終的に選んだのは全く違う分野の事務職だった。仕事は順調に進んだが、日々の忙しさに追われるうちに、小説を書く時間も気力もなくなっていった。

「仕方ないよな、生活があるんだから。」

そう自分に言い聞かせていた。しかし、坂本の言葉がどこか心の中で引っかかっていた。「逃げるのは自分だ」と。その言葉に触れるたび、直人は無意識に目をそらしていた。現実から目を背け、夢を追いかけることをやめたのは、自分自身だということに気づかないふりをして。

ある日、会社のデスクで仕事をしていた直人に、一通のメールが届いた。それは大学の同窓会の案内だった。懐かしい顔ぶれが浮かぶ中、直人の心は不思議と落ち着かない気持ちになった。特に、坂本の名前を目にした瞬間、過去の自分との対話が再び始まった。

「あいつ、まだ夢を追い続けてるんだろうか？」

坂本は卒業後、フリーの作家として活動していると風の噂で聞いたことがあった。直人が仕事に追われて日々の忙しさに埋没していく中、坂本はどこかで自分の夢を追い続けているのだろうか。その思いが胸に引っかかった。

同窓会当日、直人は久しぶりに大学時代の仲間たちと再会した。みんなそれぞれの道を歩み、成功している者もいれば、苦労している者もいた。しかし、誰もが自分の選んだ道を進んでいる姿が、直人の目にはまぶしく映った。

「山口、久しぶりだな！」

背後からかけられた声に、振り返るとそこには坂本が立っていた。変わらない笑顔と、自信に満ちた瞳がそこにあった。坂本はいつも通り、自然体で、周囲の人たちと楽しく談笑していた。その姿を見て、直人は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

「元気そうだな、坂本。」

直人はそう言って笑顔を作ったが、どこかぎこちなかった。坂本はすぐにその違和感に気づいたのか、少し眉をひそめた。

「どうした、山口。なんかお前、元気ないな。」

坂本の問いに、直人は言葉に詰まった。何を言っていいのか分からず、ただ目を伏せたまま黙り込んでしまった。坂本はしばらく直人の顔を見つめていたが、やがて静かに口を開いた。

「小説、書いてるか？」

その言葉に、直人は目を見開いた。自分の中にしまい込んでいたものを、突然引き出されたような感覚だった。

「いや…全然書いてない。もう、書く時間もなくなっちゃってさ。仕事が忙しくて…」

直人はそう言い訳するように答えたが、坂本は微笑みながら首を振った。

「時間がないんじゃなくて、書くことをやめたんだろう？」

その言葉に、直人は何も言い返せなかった。坂本はそのまま続けた。

「夢はさ、待ってるだけじゃ叶わない。逃げるのは自分なんだよ。山口、お前だって分かってるだろ？」

直人は、その言葉に心の奥を突かれたような感覚がした。坂本はいつも自分に正直で、夢を諦めることなく追い続けていた。直人もかつてはそうだったはずなのに、いつの間にか自分を偽り、現実に妥協してしまっていた。

「でも、どうすればいいんだよ。今さら夢を追いかけるなんて…もう遅いだろ。」

直人はつい、諦めの言葉を口にした。しかし、坂本は笑って首を横に振った。

「遅いなんてことはないさ。まだお前には時間がある。書きたいなら、今からでも書けばいい。それがたとえ誰にも認められなくても、お前がやりたいことなら、やればいいんだよ。」

その言葉は、直人の胸に深く刺さった。夢を追い続けることに怖じ気づき、逃げていたのは自分自身だった。坂本が言った通り、夢はどこにも逃げていない。ただ、直人が自らその道から逸れただけなのだ。

その夜、直人は久しぶりにパソコンを開き、空白のページを前に座った。手はすぐには動かなかったが、心の中には確かな熱が蘇ってきた。坂本の言葉が頭の中を巡り、かつての情熱が少しずつ戻ってくるのを感じた。

「夢は逃げない。逃げるのはいつも自分だ。」

直人は、再び書くことを決意した。たとえどんなに遅くても、どんなに時間がかかっても、自分の夢を諦めることはしない。坂本の言葉に背中を押され、直人は新たな一歩を踏み出すことを決めた。

そして、彼の物語は再び始まった。