生きる

昭和49年、1974年。千尋は50歳を迎えた

昭和49年、1974年。千尋は50歳を迎えた

千尋が50歳を迎えた昭和49年、1974年。時代は変わり続け、街並みも、そこに住む人々も、どこかが少しずつ変化していた。東京オリンピックから10年が過ぎ、日本はさらなる発展を遂げていた。自家用車が普及し、テレビが家庭の中心となり、街角には新しい商品やサービスがあふれていた。しかし、千尋はあまりその変化に焦ることなく、静かに、しかし確実に自分のペースで生きていた。

家族は相変わらず元気だった。健太郎は商売を続けており、二人の子どもたちもそれぞれ社会に出て活躍している。千尋は、家庭の中心として、また商売を支える立場として、これまで通り日々忙しく過ごしていた。家事と商売の両立に追われることもあったが、それが不満だとは感じなかった。むしろ、今ではそれが自分の生きる力となっていた。

しかし、50歳を迎えた千尋は、ふとした時に自分の人生を振り返ることが増えてきた。これまでの道のりは長かったが、その間に彼女がどれほどのことを経験してきたのか、時折思い返すことがあった。結婚してから20年以上が経ち、子どもたちも自立し、商売は安定した。これまで自分が家族を支え、夫を支え、商売を支え、目の前のことに追われてきた時間が長かった。だが、今、この50歳という節目に立った時、自分が何をしてきたのか、何を成し遂げたのかを考えざるを得なかった。

千尋は、その答えがすぐには見つからなかった。ただ、ひとつ確信していたのは、自分が家族にとって大切な存在であり、今の生活を支える柱であるということだ。それでも、50歳という年齢にさしかかると、身体的にも、そして精神的にも少しずつ変化を感じるようになった。

その日も商店を閉めた後、千尋はふと窓の外を見つめた。商店の前の通りは、昔と変わらず賑やかで、多くの人々が行き交っていた。しかし、千尋の目にはその景色がどこか遠く感じられた。時折、これから先の人生をどう歩むべきかを考えることが増えてきたが、その答えが見つからないのだ。夫の健太郎ももうすっかり落ち着き、子どもたちもそれぞれの道を歩んでいる。自分が今後、どんな役割を果たしていくのか、その道を模索していた。

その夜、千尋は健太郎に言った。「私は、何か新しいことを始めてみたいと思うの。」

健太郎は驚きつつも、優しく微笑んで答えた。「君がそう言うのは、久しぶりだね。何をしたいんだ？」

千尋は少し考えた後、言った。「何か自分に挑戦できることを始めたいの。商売以外で、私自身のために。」

健太郎は少し沈黙した後、優しく頷いた。「君がやりたいことをやってみるのはいいことだと思うよ。これから先、君がもっと自分らしく生きていけるように、支えるから。」

その言葉に、千尋は深く胸を打たれた。これまでずっと家族を支えることが自分の使命だと感じてきたが、今は自分の人生にももっと焦点を当てるべきだと強く感じた。そして、その「何か新しいこと」が何であるのかはまだ決まっていなかったが、少なくともその第一歩を踏み出す勇気を持っていた。

次の日、千尋は町の図書館を訪れることにした。若いころに本を読むことが好きだった彼女は、最近ではすっかりその楽しみを忘れていた。しかし、再び本を手に取ってみると、何とも心地よい感覚が蘇ってきた。そこで彼女は、昔から興味があった手芸や工芸についての本を手に取った。かつて、母から教わった刺繍や編み物の技術を思い出し、それを再びやってみるのも悪くないと感じた。

その日から、千尋は毎日少しずつ手芸を始めることにした。初めて触れる糸や針、布の感触が心地よく、時間が経つのも忘れるほどだった。小さな作品を作りながら、彼女はふと、これまでの自分の人生を振り返り、そして新たな挑戦に胸を躍らせていた。新しいことを始めることに不安もあったが、それと同時に、かつて感じた「創造する喜び」を再び感じていた。

その後、千尋は手芸を続ける中で、自分の作ったものを町の人々に見てもらう機会を持った。驚くほど多くの人々が彼女の作品に興味を持ち、購入してくれるようになった。商店を営んでいた時のように、また何かを作り出す喜びを感じていた。それは、千尋にとって、家族や商売以外で自分の存在を再確認できる大きな意味を持っていた。

50歳という年齢は、千尋にとって新たなスタート地点であった。それまでの人生を支えてきたものとは違う形で、自分の「今」を生きる力を見つけたのである。年齢を重ねても、挑戦し続けることに遅すぎることはないということを、彼女は身をもって実感した。

それからの千尋は、手芸を通じて自分を表現し、また新しい夢を追い始めた。商売の傍ら、彼女は自分の作品を広めるために力を注ぎ、次第に町の人々からも愛される存在となった。50歳を迎えた千尋は、これからも新たな挑戦を恐れず、自分の道を歩み続けることを決意していた。