生きる

伝える力

『伝える力』

それは、私が新人として働き始めた頃のことだった。職場にはベテランの先輩が何人かおり、みんな厳しくも優しい人たちばかりだった。特に、山田さんという先輩は、その中でも一際目立っていた。彼女は非常に理論的で、物事をはっきりと簡潔に伝える達人だった。私はその姿勢に感銘を受け、常々どうすれば自分も彼女のように分かりやすく伝えられるのかと考えていた。

ある日、私が担当する案件でちょっとした問題が発生した。会議でその問題を解決するための話し合いが開かれ、私は自分の考えを説明しなければならなかった。しかし、いざ話をしようとすると、言葉がうまく出てこない。どうしても説明が長くなり、ポイントがぼやけてしまうのだ。そのうち、会議のメンバーも私の話が混乱してきたのを感じ、気づけば皆の顔が曇っているのを見逃さなかった。

その会議後、山田さんが私に声をかけてくれた。「ちょっといいか？」と、いつもの冷静な口調で言われ、私はドキドキしながら彼女の部屋へと向かった。

「何かまずいこと言ったかな？」私は内心で不安を感じつつ、席に着いた。

山田さんは、ちょっとだけため息をついてから話し始めた。「あなたの話、良いポイントはあったけど、内容がちょっとわかりにくかった。伝えたいことを一度にたくさん詰め込みすぎたんだよ。」

私は少し驚いた。自分では一生懸命に伝えようとしていたつもりだったが、どうやらその努力が空回りしていたようだ。

「まず、伝えたいことを簡潔に整理することが大事だよ。ポイントを絞って、それをどうしてほしいのか、どういう結果を期待しているのかをはっきり伝えるだけで、ずっと伝わりやすくなる。」山田さんは私を見ながら、優しく説明してくれた。

私は必死にメモを取りながら、山田さんの言葉を噛み締めた。彼女の話を聞いて、初めて「伝える」ということの大切さが身に染みて分かった。

その後、私は言葉を選ぶこと、そして内容をシンプルにすることを意識しながら、改めて同じ内容を部長に伝えることになった。今回、私は話の前にまず要点を整理し、言いたいことを簡潔にまとめた。「問題はこういうことです。解決策はこれです。どうしてほしいかというと、こうです。」シンプルに、でも具体的に。

部長は最初、少し驚いたような顔をしていたが、最後までしっかりと私の話を聞き終えた後、穏やかな表情でこう言った。

「なるほど、よく分かったよ。ありがとう。」

その瞬間、私は言葉で人を納得させることの大切さと、簡潔に伝えることの力を実感した。私は、これからもっと自分の言葉を工夫し、相手に伝わりやすい方法を探っていこうと心に誓った。

その後も山田さんからのアドバイスを参考に、少しずつ自分の伝え方を改善していった。最初は緊張して言葉が出てこなかったが、回を重ねるごとに自分の話が相手に届いている感覚を感じるようになった。

ある日の会議で、今度は私がリーダーとなり、新しいプロジェクトについてチームに説明する場面が訪れた。私は少し前に自分が学んだことを活かし、まず「伝えたいこと」を絞り込み、シンプルに話を進めていった。「このプロジェクトはこういう目的があります。これからどう進めていくのか、そしてどんな結果を求めているかを考えています。」と、丁寧に、でも簡潔に話すことを心掛けた。

その結果、メンバーたちはとてもスムーズに理解し、質問が出ることも少なく、全員が納得した上でその後の作業に取りかかることができた。その時、私はようやく伝え方を工夫することの重要性を深く実感した。わかりやすく伝えるというのは、ただ単に自分の思いを述べることではなく、相手がどう理解しやすいかを考えることだと感じた。

ある日のランチタイム、山田さんと偶然一緒になったとき、私は思い切って感謝の気持ちを伝えた。「山田さんのおかげで、伝えることの大切さを学びました。ありがとうございます。」

山田さんは少し照れくさそうに笑いながら答えた。「うん、それが仕事だしね。でも、あなたもかなり努力してるじゃない。大事なのは、あとは自分のスタイルを見つけることだよ。」

その言葉が、私の心に響いた。伝え方には個性がある。大切なのは、自分の言葉で、相手にとって理解しやすい方法で伝えることだと感じた。

その日から、私は自分の伝え方を常に意識し、シンプルでわかりやすい言葉を選び続けるようにした。伝えるときは、はっきりと簡潔に、わかりやすく。それが、私が最も大切にしたいコミュニケーションの方法だった。

今では、伝えることが少しずつ楽しくなり、どんな場面でも自分の言葉をしっかりと届けられるようになった。それは、ただのテクニックではなく、人と人とがきちんと向き合って理解し合うための大切な力だと実感している。