生きる

裁かないという勇気

「裁かないという勇気」

空はどんよりと曇り、街全体が灰色に染まっていた。加奈子は、職場の会議室に並んだ書類を一瞥し、深いため息をついた。最近、彼女は同僚たちの意見がどうしても理解できず、衝突が続いていた。企画案をまとめる際、保守的な意見に傾倒する上司と、新しいアイデアを求める若手メンバーとの間に挟まれた彼女は、どうしても苛立ちを抑えられなかったのだ。

「どうして、こうも人は他人とわかり合えないんだろう…」

そんなことをぼんやりと考えながら、ふと彼女の目に入ったのは、デスクに置かれた一冊の聖書だった。学生時代に手に入れてからしばらく開いていなかったが、最近の心の重さから、何か救いが欲しいと感じていた。めくったページに、ある言葉が目に飛び込んできた。

「裁くのをやめなさい。裁かれないためです」——マタイ 7:1。

読み返すうちに、彼女の心は不思議と落ち着き始めた。人の言葉や行動を裁き続けてきたのは、結局自分の中にあった不安やプライドからだったのではないか。相手の考えに対して、まず否定から入ってしまうことが増えていたことに気づき、心が重たくなった。

翌日の会議、加奈子は少しでも前向きな気持ちで話を聞こうと意識した。まず同僚の意見に耳を傾け、理解しようと努める。すると、今まで見えなかった部分が見えてきた。彼女が反対していた案の裏には、リスクを避けるための配慮が隠されていたのだ。

会議が進む中、若手社員の佐藤が手を挙げた。彼は積極的で、新しいアイデアを積極的に出すタイプだったが、上司と意見が食い違うたびに意欲を削がれていた。今日もまた、上司に反論されるたび、眉をひそめていた。

「佐藤さん、そのアイデアに関して、一つ確認したいんですが」

加奈子は、普段は心の中で見過ごしていた彼の発言に注目した。意見を言い終わった佐藤に向けて、加奈子は静かに微笑んだ。

「それは面白い提案ですね。上司の案とどちらが効果的か、もう少し掘り下げてみませんか？」

佐藤の表情が明るくなり、加奈子が投げかけた一言で彼は再び自分の考えを具体的に説明し始めた。それに応えるように、他のメンバーも話に加わり、徐々に会議室は活気を帯びていった。

会議が終わる頃には、チーム全体が新しい案に一丸となって取り組む姿勢を示していた。上司でさえ、若手の視点に理解を示し、次のプロジェクトでは新しい方法を取り入れてみる意欲を見せていた。

会議後、佐藤は加奈子にそっと近づき、「今日は助かりました。今まで自分の意見が通るなんて思っていなかったので、本当に嬉しかったです」と礼を言った。

その瞬間、加奈子は心の中で何かが溶けていくのを感じた。彼女の小さな一歩が、他人との調和を取り戻す力になったことに気づいたのだ。裁かないという勇気は、単なる忍耐だけでなく、相手を尊重し理解するための一つの扉だった。

加奈子は、その夜ベッドに横たわりながら思った。「これからも、人の意見を否定せずに受け入れる努力を続けよう。私が他人を尊重すれば、いつか私も尊重される側になるかもしれない」。

曇り空の向こうには、少しずつ光が差し込んでいるように思えた。