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今生の別れ
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今生の別れ
10月の終わり、木々が赤や黄に染まり、街全体が秋の深まりを告げる頃、真琴は病院の廊下で母の手を握り締めていた。医師から「今日が峠です」と告げられてから、覚悟を決めて母の枕元に付き添っている。すでに体力を使い果たし、細い呼吸を続ける母の顔は、痩せ細って今にも消え入りそうだった。かつての母の強さを知っているだけに、真琴にとってその姿は胸が締めつけられるようなものだった。
母は頑固で、昔から病気など気にかけず、自分のことは最後まで自分でやると決め込んでいる人だった。しかしこの数年、歳を重ねるごとに少しずつ体調が崩れ、入退院を繰り返していた。家事も満足にできなくなり、次第に生活のリズムも狂ってきた。それでも母は意地を張り、真琴に頼ることなく独りで生活し続けようとしたが、今回の入院がその全てを変えた。
病室の窓の外には、晩秋の冷たい風に揺れる木々が見える。真琴は、母が最後の秋をこうして病室の中で迎えることになるとは想像もしていなかった。幼い頃の思い出が浮かんでは消え、言葉にできない思いが胸を巡った。
「真琴、あんたには迷惑をかけてばかりで、ごめんなさいね」
母がふと目を開け、かすれた声で話しかけてきた。真琴は思わず涙が溢れそうになったが、かろうじてこらえ、微笑みを浮かべて母に言った。
「そんなことないよ、私こそ、お母さんに頼ってばかりだった」
母の顔には安堵の表情が浮かび、再び目を閉じた。母の手は驚くほど冷たく、小さな子供だった自分をしっかりと抱きしめてくれた、あの温かさがどこか遠くに行ってしまったように感じた。もう少しだけ、この温もりを感じていたいと思い、真琴は母の手をさらに強く握りしめた。
数時間が過ぎ、母の息は次第に浅くなっていった。呼吸のたびに胸がかすかに上下する様子を見つめながら、真琴はこの別れが「今生の別れ」となることを自覚していた。人はいつか別れるということを知ってはいるものの、その現実が目の前に迫ると、どうしても受け入れるのが辛い。だが母がどれだけの苦しみに耐えてきたか、どれだけ心細い思いを抱えたかを考えると、少しでも安らかに旅立たせてあげたいと願った。
「お母さん、もう痛みも苦しみもない場所に行けるんだよ」
自分に言い聞かせるように、小さな声でそう呟くと、母の唇がかすかに動いた。最後の力を振り絞るように、母は静かに言った。
「真琴、強く…生きるんだよ」
その言葉は、母がこれまでずっと自分に向けてくれていた思いであり、真琴の心に深く染み入るようだった。涙が頬を伝い、母の手に落ちるが、母はもうそれに応えることはなかった。母の呼吸がゆっくりと弱まり、次第に静かになっていく。
静寂が病室を包み込むと、真琴は母が本当に旅立ったのだと感じた。母との最後の時間が今まさに終わりを迎えたことを理解しつつも、心の中にぽっかりと穴が空いたような感覚が押し寄せ、しばらくその場から動けなかった。
その後、病室の片付けを終えた真琴は、母の遺品を手に取りながら一つひとつ整理を始めた。母の愛用していた古いカバンや、手帳の中に挟まれていた家族の写真がそこにあり、母が大切にしてきた時間の一部がそこに刻まれていた。これらが母の生きた証であり、自分が受け継ぐべきものなのだと、真琴は改めて感じた。
家に帰り、母の遺品をそっと置くと、真琴は一人の夜を迎えた。静まり返った部屋の中で、母が言った「強く生きるんだよ」という言葉が何度も頭をよぎった。その言葉に込められた母の思いを感じ、涙が再び流れて止まらなかった。
母との別れは確かに「今生の別れ」であり、もう二度と会うことはできない。それでも、母の言葉と愛情は真琴の心に残り、彼女の生きる支えとしてこれからも続いていくのだと、真琴はその夜、心に誓った。
10月の終わり、木々が赤や黄に染まり、街全体が秋の深まりを告げる頃、真琴は病院の廊下で母の手を握り締めていた。医師から「今日が峠です」と告げられてから、覚悟を決めて母の枕元に付き添っている。すでに体力を使い果たし、細い呼吸を続ける母の顔は、痩せ細って今にも消え入りそうだった。かつての母の強さを知っているだけに、真琴にとってその姿は胸が締めつけられるようなものだった。
母は頑固で、昔から病気など気にかけず、自分のことは最後まで自分でやると決め込んでいる人だった。しかしこの数年、歳を重ねるごとに少しずつ体調が崩れ、入退院を繰り返していた。家事も満足にできなくなり、次第に生活のリズムも狂ってきた。それでも母は意地を張り、真琴に頼ることなく独りで生活し続けようとしたが、今回の入院がその全てを変えた。
病室の窓の外には、晩秋の冷たい風に揺れる木々が見える。真琴は、母が最後の秋をこうして病室の中で迎えることになるとは想像もしていなかった。幼い頃の思い出が浮かんでは消え、言葉にできない思いが胸を巡った。
「真琴、あんたには迷惑をかけてばかりで、ごめんなさいね」
母がふと目を開け、かすれた声で話しかけてきた。真琴は思わず涙が溢れそうになったが、かろうじてこらえ、微笑みを浮かべて母に言った。
「そんなことないよ、私こそ、お母さんに頼ってばかりだった」
母の顔には安堵の表情が浮かび、再び目を閉じた。母の手は驚くほど冷たく、小さな子供だった自分をしっかりと抱きしめてくれた、あの温かさがどこか遠くに行ってしまったように感じた。もう少しだけ、この温もりを感じていたいと思い、真琴は母の手をさらに強く握りしめた。
数時間が過ぎ、母の息は次第に浅くなっていった。呼吸のたびに胸がかすかに上下する様子を見つめながら、真琴はこの別れが「今生の別れ」となることを自覚していた。人はいつか別れるということを知ってはいるものの、その現実が目の前に迫ると、どうしても受け入れるのが辛い。だが母がどれだけの苦しみに耐えてきたか、どれだけ心細い思いを抱えたかを考えると、少しでも安らかに旅立たせてあげたいと願った。
「お母さん、もう痛みも苦しみもない場所に行けるんだよ」
自分に言い聞かせるように、小さな声でそう呟くと、母の唇がかすかに動いた。最後の力を振り絞るように、母は静かに言った。
「真琴、強く…生きるんだよ」
その言葉は、母がこれまでずっと自分に向けてくれていた思いであり、真琴の心に深く染み入るようだった。涙が頬を伝い、母の手に落ちるが、母はもうそれに応えることはなかった。母の呼吸がゆっくりと弱まり、次第に静かになっていく。
静寂が病室を包み込むと、真琴は母が本当に旅立ったのだと感じた。母との最後の時間が今まさに終わりを迎えたことを理解しつつも、心の中にぽっかりと穴が空いたような感覚が押し寄せ、しばらくその場から動けなかった。
その後、病室の片付けを終えた真琴は、母の遺品を手に取りながら一つひとつ整理を始めた。母の愛用していた古いカバンや、手帳の中に挟まれていた家族の写真がそこにあり、母が大切にしてきた時間の一部がそこに刻まれていた。これらが母の生きた証であり、自分が受け継ぐべきものなのだと、真琴は改めて感じた。
家に帰り、母の遺品をそっと置くと、真琴は一人の夜を迎えた。静まり返った部屋の中で、母が言った「強く生きるんだよ」という言葉が何度も頭をよぎった。その言葉に込められた母の思いを感じ、涙が再び流れて止まらなかった。
母との別れは確かに「今生の別れ」であり、もう二度と会うことはできない。それでも、母の言葉と愛情は真琴の心に残り、彼女の生きる支えとしてこれからも続いていくのだと、真琴はその夜、心に誓った。
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